月曜日の夕立ちはつめたい

走り出した気持ちが家出して戻ってこないときに書く

私の愛を疑られるとムカつく

 結構、嘘をつく方だ。


 私は「子どもらしくしなさい、可愛げのない」と「わがまま言わないの、子どもじゃないんだから」という言葉で日々私を都合よく縛る母に育てられたので、子どもの頃から彼女の機嫌を損ねないことに必死だった。そんな母に父は何も言わない。母はなにか大きな転機があると「お父さんに訊いて」と父に責任を丸投げにし、そして父も「お母さんに訊いて」というような家庭だった。
 だから子どもの頃から、両親を気持ちよく『接待』するような嘘をつきまくった。ギリギリ裏を取られないような、許されるような、ありとあらゆる嘘をついたと思う。私はそういう人間だ。ツイッターでは素直なことを書いているけれど、日常生活で差別的な言論にぶち当たっても、いまだに咄嗟に取るのは自分を守るために『笑顔になる』という防衛策であることが多い。そして布団や湯船の中で自己嫌悪に陥るお決まりコース。今もそうやって嘘をつき続けている。

 自分で『家族』を持ってみて、改めて「あれは異常なことだったんだ」と思うことが増えた。私は子どもが嘘をついていると、直感的に「あ、これ嘘だ」と思うことが結構ある。なぜわかるのか? 考えてみると単純明快だった。子が私に似ている。家庭環境は違えども、小さな頃から家の中で『母親の機嫌取り』をしている点、そしてその機嫌の取り方がまったく同じだった。
 子どもにとっては母親同様、実害があるかないかわからないような『知らない大人』も接待の対象だ。だから最初に会ったとき、本当に「愛想のいい子だな」と思った。当然だ、私は『知らない大人』だったから。会う回数を重ねるごとに作ったやけに明るい声は減ってゆき、代わりに喜怒哀楽を主張するようになった。嫌なことに苦笑せず、きちんと「嫌だ」と意思表示するようになった。だからとある日の夕食に「ニンジン、好きじゃない」と子どもが言い出すまで、母は子どもの偏食に気がつかなかったのだ。


【一応、登場人物】
◇わたし
 ブログ書いてる人。AロマでAセククィア。恋愛とか正直意味わかんない。
◇れいな
 私のパートナー。産んだときからシングルマザー。恋愛はできるけどめんどくさい。
◇りゅうが
 子ども。今のところクエスチョニング傾向。好きな子はいる。


 ふた月ほど前、私がいろいろと忙しくしていて、十日ほどふたりと会わない期間があった。それから久しぶりに会ったとき、りゅうがが生まれて初めて「なにからなにまで自分でやった」という、お手製餃子を作って食べさせてくれたのだ。超、超、超嬉しかった。世界一美味しかった。まあ本題はそれじゃないんだけど。その日は三人でアマゾンプライムにて配信されたばかりの、カミラ・カベロの『シンデレラ』を観た。
「ねえ、この人って、普段からこういう人なん?」
「そだよ」
「へー……」
 出演者のひとりである、ビリー・ポーターを見たりゅうがが言った。ビリー・ポーターはとってもファビュラスな装いや言動で、事あるごとに楽しませてくれたり、私たちの背筋を伸ばしてくれる素敵なセレブリティのひとりである。作中ではバッチバチにキメたフェアリーゴッドマザー。りゅうがはビリーを初めて見たようで、目が釘付けになっていた。
 餃子に色々な薬味をつけては楽しんでいた私たちだったが、梅ペーストを付けたものが気に入ったのか、ひたすらそればかり食べていたれいなが突然言った。
「あんたも好きなもん好きって言って、好きな服着て、好きなことやって、そういうあんた見ても仲良くしてくれる子を大事にするんやよ。わかった?」
 そのときの私ときたらあまりにびっくりして、本当になにも言えなかった。りゅうが本人は餃子を食べながら「んー」と返事をしただけ。そんなんわかっとるよ、といった風に。え、今のなに!? どゆこと!? 私は内心パニックになりながら「胡麻マヨネーズもうまいよ」などと分かり切ったことを言った。

 後から聞いたところ、私と会っていない期間に学校でトラブルがあったらしい。特にお互い知りもしないくせに、りゅうがに対して「お前、ゲイっぽいよな」と嘲笑した同級生がいたというのだ。なんやそいつ。
 ある意味、その子は勇気があると思う。絶対に人を傷つけるとわかっていて、そんなことをわざと口にするのだから。それが下手をすると一生の傷になることがわからないのは、本当に罪なことだと思った。その子個人の罪じゃない。それが罪だってことを教えられない大人の罪。それを容認する社会を作っている、ざっくり言えば私たちの罪でもある。
 なぜそんな大切なことを私に黙っていたのかと、喉元まで言葉がせり上がってきた。でもそれに対して、れいながりゅうがに言ったというのだ。
「私はゲイっぽいとか正直わからんけど、そんなこと言うやつは周りに「ゲイです」って言ってもらえんだけって、おじろ言っとったやろ? 私はゲイですとか、そういうのは信用しとる人間にしか言えんのや、いないんじゃなくて言えないんやって。りゅうがのこと言った子は、周りに信用してもらっとらんだけ。かわいそうやよね」
 一言一句思い出せるわけではないけれど、こういうことをれいなは当然のように言った。私は思わずクソ狭い玄関先でれいなを抱き締めて「そうや、そうやね」と繰り返しながらちょっと泣いた。私はすぐ泣くのでもう珍しくもなんともないのか、れいなは背中を叩いてくれた。
 それからだ。りゅうがはれいなを『こいつは信用できる』という箱に分類を変更したらしく、反発しがちだった言動や態度がぴたりとおさまった。無理に抑えているわけではなく、ごくごく自然に、本来りゅうがの持ち合わせている気性に戻ったという感じ。尖ってひとりきりにされるよりも、元が甘えたなので誰かと一緒にいたい性分なのは知っていた。えっ、反抗期終わんの早くね? だいじょぶ? 思わずグーグル先生に聞きまくったし、養護教諭をやっている知り合いにも、面談をしてくれた行政の人にすら聞いた。もはやモンペである。
 クィアの子どもにとって、自身のアイデンティティを肯定してくれる人間というのは、もちろんとても重要だ。心の支えになりうる人。誰もが出会えるわけでもない。たったひとりで誰にも言えずに抱えたまま、大人になっていく子どもたちがごまんといる。特に私たちの住む地域は超のつく保守地域だし、なにより私がその『たったひとりで誰にも言えずに抱えたまま大人になった子ども』だった。
 相談したうちのひとりに「そんな子どもたちが反抗よりもやっと見つけた安寧を取るというのは、不思議なことではないよ」といったようなことを言われた。その通りだと思った。同時に私たちはりゅうがの期待を裏切ってはいけないのだと、改めて思い知らされた。自分がクィアだって、りゅうがと私は別人だ。同じ人間じゃない。だから学び続けることは、やっぱり止めるべきではないと思った。

 そんなことがあってから、私たちはそれまで以上にいろいろな話をした。それはもういろんなことを。
 今でこそ私はこの家庭に居場所があるが、これは私たちの努力だ。法律婚が許されない世界で、私たちが『家族』になるために努力をした結果だ。観察的なものを定期的に行ってくれる外の人も、それをとても褒めてくれた。私は子どもの面談に行くし、習い事の送り迎えもするし、登校を渋った日に学校へ連れて行くし、忘れた体操着だって届けに行く。
 しかし私たちには、過去に『家族』にならざるを得ない、大きな出来事がひとつあった。そのときにりゅうがが咄嗟についた嘘が忘れられないのだ。あのときからずっと考えている。ただの口約束の『家族』で、この子を守り続けていく方法って、どんなだろう。

 このブログはふたり公認で、彼らについて書くときはもちろん可否を伺ってから書いている。しかしその『事件』については、ずっと私たちの中でタブー扱いになっていた。私も改めて書き起こそうという気はなかったし、正直触りたくなかった気持ちが大きい。
 それを最近になって「書かないの?」とふたりが言い出した。この心境の変化は、明らかにシンデレラ餃子食べ比べ事件(なんだそれ)の影響だと思う。だから私も記憶を掘り返して、グリーフセラピーのために書こうと思った。きっとまた私たちは新しく話をすることになるだろう。それも悪いことではないと思えるようになった。
 いつかの記事に『れいなが緊急搬送されて付き添った』と書いたように思う。私たちがずっと封をしていたのは、そのときの顛末だ。れいなは妊娠していた。


※以降には流産についての言及があります。私は当事者ではなく、気が動転していたので、少し事実と異なる点があるかも知れません。


 りゅうがは産まれたときから父親がいない。きょうだい児もいない。祖父母もいない。母しかいなかった。遺伝子上の父親は生きているけれど、認知されていないのでそんなやつ何者でもない。私が介入するまで、ふたりはずっとふたりだった。
 詳しい時期はぼかすけれど、まだ私がふたりと『家族』という距離ではなかった頃の話だ。週に一度ほど会っては、れいなのリフレッシュを兼ねてりゅうがを連れ出したり、連れ出さなかったり。れいなはふたりきりの生活を、ずっと負担に思っていた。だからその時期に外の異性に癒しを求めた。
 私はアセクシャルなので、正直性交渉でなにが満たされるのか全然わからない。多分一生わかってあげられない。それでも「そういう人もいる」というのはさすがに知っているし、れいながマッチングアプリスマホに入れていて、たびたびそのアプリに通知が来ていることにも気づいていた。
 だから最初に「妊娠したかも」と聞かされたとき、私は呆れてしまった。ヤリモクなら絶対避妊しとけよ! 私には怒る権利などなかったが、とにかく腹を立てた。私は子どもが大好きなので、りゅうがを傷つける人間が許せなかったからだ。今思えばとてもぞっとするのだけど、呆れに次いでれいなに対して浮かんできたのは「こいつを罰しなければ」という恐ろしい感情だった。はっとした。罰したところで何になるというのだろう? そしてもちろん私にはそんな権利などない。感情論で解決できる問題でもない。私は『妊娠』に対して幻想を抱いてるのだと、初めて知った。
 当然優先されるべきは、私の歪んだ正義感などではない。れいなの健康と体調だ。れいなは元々身体に問題があり、かねてから「婦人科へ行こう」と私が促していた矢先だった。要は病院に行く金がない。毎月意識が遠のくほどの激痛に襲われるというのは、明らかにどこか異常がある。でもコンスタントに病院にかかる金がないのだ。だからその問題は「我慢すればいい」と放ってあったし、当時『家族』ではなかった私も、それ以上強くは言えなかった。

 けれども、もはやそんなことを言っている場合ではない。何度試そうが検査薬は陽性を示している。病院に行くしかない。「頼むから行ってきてくれ」と、産科に行かせた。結果は私たちの想像通りだった。当時のれいなは自己肯定感がとても低く、誰かに必要とされる・求められると嬉しくて、すべてを許してしまうような状態だった。そこにつけ込んだ男が憎かった。
 私は病気の関係で妊娠できない身体なので、出産経験もない。『妊娠』という未知の領域。うろたえた。とりあえずれいなから妊娠は初期であり、選択的に堕胎できる段階だと聞かされた。私はそうするものだとばかり思っていたが、そもそも堕胎は母体に負担がかかるし、費用もかかる。つらいのはれいなだ。私もその日はパニックで家に帰ったけれど、フォロワーが相談に乗ってくれて気持ちは少し落ち着いた。
 無事に出産を終えられたとして、養子縁組に出すという選択肢もある。りゅうがを産んだときのように、たったひとりで何もかも終わらせねばならないわけではない。「私が支えなきゃ誰が支えるんだ?」。そこから私は顔を出す頻度を増やし、れいなと相談をはじめた。まるで自分の子どものことかのように。

 そうしてどうするのかを決めきれず、二週間ほど経った日のことだった。突然その日が来た。
 そのとき、私はひたすら餃子を包んでいた。取りかかるまでは面倒くさいけれど、餃子を包むという作業自体は嫌いじゃない。相変わらず料理は嫌いだけど。綺麗にひだを作っては皿に並べ、焼く前に満足して写真を撮ったりしていた。
 りゅうがはれいなが忘年会だかなんだかでもらってきたという、ちょっと挙動の怪しいタブレットを使っている。Wi-Fi環境下であれば、LINEで連絡を取り合えた。だからりゅうがから連絡が来るときはたいてい家にいるということだ。そして普段はメッセージを送ってくるだけなのに、その日は電話がかかってきた。私はのんきに粉まみれになった手を拭って、明るい調子でその電話に出た。なに、どしたと。
 電話の向こうからは取り乱した声が聞こえた。明らかに様子がおかしい。パニックになったりゅうがは最初「ママが」しか言わなかった。こうなったら一旦落ち着かせるなんて無理だ。私は私で、頭の中にいわゆる『最悪』と言われる事態がいくつも思い浮かぶ。強盗か、それともりゅうがの血縁上の父に押し入られた? 家の前でれいなが轢かれた? れいなが急に倒れた? れいなが、れいなが? 一瞬でよくもまあそんなに想像できるな、というくらい私の頭の中には『最悪』が連なって、居ても立ってもいられなかった。
 れいなが尋常ではない腹痛を訴え、トイレを出たところで座り込み、しかも下血している。彼女はあまりの痛みで気絶しかけて、唸っている。りゅうがの断片的な説明をかき集めると、そういうことらしい。私はすぐに「119番に電話しろ」、「救急って言え」と告げ、毛玉だらけのスウェットのまま、生の餃子を放り出し、泣きながら家を飛び出した。車の中で泣き止まなきゃ、そう思った。私はすぐ泣くけれど、その日ばかりはりゅうがの前で私が泣くわけにはいかなかったからだ。
 知り合ってすぐの頃、りゅうがは自宅の住所すら正しく言えるかどうか怪しかった。私は「いざというときに困る」と、それを覚えさせたのだ。まさかそんな『いざ』が来るだなんて、正直思ってもみなかった。

 私が着いたときはちょうど救急車が彼女を乗せ、搬送しようかというところだった。れいなは顔が真っ白だった。血の気がなく、私はその様子に血の気が引いてしまう。りゅうがはうろたえていたが、野次馬の中に私の姿を見つけると、私の名前を叫んで駆け寄ってきた。りゅうがはもう随分体躯も大きいのだが、いつもニコニコの顔をぐっちゃぐちゃにして私に抱きつく。その様子を見た救急隊員が、私に話しかけた。
「あなたはこの方のご家族ですか?」
「家族ではないです。彼女はこの子しか身寄りがありません。私は知人です」
「パートナーの方?」
「……そんなようなもんです」
 初めて『パートナー』かと問われたので、あのときのことは今もはっきりと覚えている。
 コロナ禍ということもあり、れいながかかっていた産婦人科は付き添いが禁止されていた。そして連絡したものの、先生はすぐには来られない状態らしい。隊員は代わりにどこの病院に搬送するかということを私に告げ、救急車に乗れと言った。あとから聞いて知ったが、このときのれいなは血圧が70を切るくらいに落ちていた。かかりつけ医を待っている場合ではなかったのだ。
 下手をするとこのまま入院になる。ふたりには誰も頼れる人がいない。私が必要なものを持って行かねばならない。脳のそんなことを考える部分だけは冷静だった。りゅうがを乗せて、自家用車で救急車を追いかけると隊員に告げた。
 サイレンが遠ざかる音を聞きながら、私はれいなの財布と、知り合ったあとすぐに取らせた医療費の限度額適用認定証を引っ掴み、つきっぱなしのテレビを消し、カーテンを閉め、室内灯はつけっぱなしのまま、鍵を閉めて、おろおろとするりゅうがの肩を抱いて家を出た。家を出たところで、よく「子どもの笑い声がうるさい」と文句をつけてくる近所の人が、菓子パンをくれた。私もりゅうがもなにも食べていない。車の中で私たちはずっと無言で、珍しく音楽も流さなかった。

 私はがんサバイバーなのだが、治療で使用している薬の都合で、がん種に関係のない診療科にもいくつかかかっている。自分で言うのもなんだけど、態度的にはかなり模範的な患者だ。そのため頼みやすいのか、病院からの臨床検査のお願いも何件か引き受けている。だから婦人科にもかかっていた。れいなの搬送先は、たまたま私がかかっている病院だったのだ。婦人科の先生、知ってる人だったらどうしよう。なんて説明しよう。現実逃避にそんなことを思ったりした。
 誰もいない夜の待合室で、私とりゅうがは抱き締め合って座っていた。何度も来たはずの病院が、全然違う場所に見える。嗅ぎ慣れたはずの匂いが妙に鼻について、私はりゅうがの着ていたパーカーのフードに鼻を突っ込んでいた。りゅうがはりゅうがで泣きながら私のだるっだるのスウェットを握り締めていたので、それは余計にだるっだるになってしまった。そして私はりゅうがを褒めた。電話をしてきてくれて、救急車を呼んでくれてありがとうと。あとはひたすら無事であることを祈っていた。

「すみません、ご家族の方ですか?」
 知らない医者が近寄ってきて、私たちはのろのろと顔を上げる。ああ、また最初から説明しなきゃいけない。れいなが死ぬかもしれないってときに、私は毎回「知人です」、「この子は息子です」、「親類縁者はありません」などと悲しい説明を強いられる。不安で私は気が立っていて、その事務的な問いかけにすら苛立って返事をしてしまいそうだった。
 そのときだ。りゅうがが咄嗟に『嘘』をついた。
「ぼくが子どもで、この人は母の彼女です。家族はぼくたちだけなので、一緒に話を聞きたいです」
 思わず私はりゅうがを凝視した。りゅうがは普段、あまり一人称を使わなかった。使わなくても意外と喋れるもんだなと私はずっと思っていたので、このときにりゅうがが『僕』と言ったこともはっきり覚えている。私はりゅうがの性的アイデンティティを知らない。だからブログでも『彼』という人称を今まで使わなかった(余談だが、最近ついに『俺』と言い出したので、なにか心境の変化があったのか、ちょっと気になっている。ああ、脇道に逸れてしまった)。
 りゅうがは私を『れいなの彼女』だと嘘をついた。私が驚いてりゅうがを見つめたのも、こんなときにカミングアウトするのか、という風に取られたようだった。もし本当だとしたらアウティングじゃね? というのは、この緊急時には一旦置いておくけれど。私はこの病院でクィアの家族がどう扱われるかということを知らなかったのだが、このときの医者はりゅうがの言葉に了解し、私にも状況を説明してくれた。

 流産だった。流産にもいろいろパターンがあり、そのときのれいなは『進行流産』という状態だったらしい。母体にあった子どもを産むためのパーツが、勝手に身体の外に出てしまう。それにはとにかくものすごい腹痛と下血を伴い、こうなると流産はもう止められない。そしてその『組織』が完全に出てしまえばいいのだが、れいなの場合は子宮にそれが残留していた。そのため腹痛などが続いており、このままでは危険なので掻き出す処置をしていると言われた。
 実はりゅうがには妊娠のことは黙っていた。黙っていたというか、私たちは言えなかった。父となるはずの人間がいないのに、母が妊娠したということをどう説明したらいいのか、わからなかったのだ。けれどもあの血だらけの理由を説明しないわけにもいかず、病院に行く車の中と待合室でようやく私から説明をした。
 れいなは妊娠していたけれど、その赤ちゃんがお腹の中から出てきてしまい、あの血は赤ちゃんが育つための大事なものだったのだと。りゅうがは黙っていたけれど、私の肩口で「なんで普通の家にしてくれんかったん?」と呟いた。りゅうがくらいの年頃になれば、母親が何をしたのかだなんてすぐにわかってしまう。黙っていて、しかもこんなことになって、余計に傷つけてしまった。悔やんでも悔やみきれない。
 そして医師が処置室に戻って行ったあと、りゅうがが言った。
「あの嘘は、ついてもいい嘘やったやろ」
「……やと思うよ」
 だから私もそう言った。
 私はアロマンティックで、恋人なんて必要ないと思っている。れいなもどう転んだってヘテロだ。でも私たちは、恋愛をしなくたって一緒にいる方法があるんじゃないか? 法律婚ができないこの状況で、私たちにできることってなんだ? そしてこの夜から、私は真剣に『ふたりと家族になる』ことを考えはじめた。そして今に至るのだ。

 すべての処置を終えて面会したれいなは、やっぱり顔が真っ白だった。顔どころか、見える場所はみんな血の気がない。ゆっくりと目を開けて私たちの姿を見ると、れいなは声を上げて泣き出した。不必要な接触は控えましょうと言われるご時世だったけれど、私は彼女を抱き締めずにはいられなかった。
 妊娠なんてせんかったらよかったとか思ったから、こんなことになったんかな。れいなが私の耳元でそう泣きじゃくっていて、その様子を少し離れた場所からりゅうがが呆然と眺めていた。母親のそんな姿を見たことがなかったのだろう。弱々しくて、誰かに子どものようにすがりつく、自由奔放な母親の姿。
 れいなはりゅうがを産んだとき、とても難産だったと聞いている。産科でめちゃくちゃ嫌な目に遭ったということも、少しだけ教えてくれた。もう二度と妊娠は無理だろうと、当時の主治医に言われたのだそうだ。だからこの妊娠をどう受け止めるべきなのか、わからなかったとれいなはまた泣いた。彼女は妊娠を喜ぶことを罪だと思っていた。嬉しかったのだ。
「おじろとだったら育てられるかもって、本当は思っとった」
 私はどう答えるべきだったのだろう。れいなの手を握るしか、私にはできなかった。その日から彼女は男遊びをやめたし、私の言う『愛』を信じるようになった。ちゃんと病院にもかかって、ひどい生理痛に悩まされることもなくなった。

 私はとりあえず事の顛末を、いわゆる担当のケースワーカーに報告した。れいなは少なくともその夜は入院、早くて翌日退院になる。りゅうがは託児施設で二晩ほど預かってもらう算段をつけ、私たちは病院を後にした。りゅうがはずっと黙っていたけれど、車から降りる直前に「嫌や」、「一緒におりたい」と言い出した。当然だと思う。
 けれどもまだ当時は一度も家に泊まったことがなく、連絡先はもらったものの私はケースワーカーにも信用されていなかった。当然のことと言えばそれまでだけれど、子どもに対しての責任所在をあいまいにしない、いいケースワーカーだと思った。ぐずるりゅうがをなんとか預け、私は車の中でまたひとりで泣いた。ふたりの家に戻って床を拭いているときにも泣いた。
 基本的に見舞い客は門前払いだったので、私はれいなにLINEをしておいた。「明日は家におるようにするから、なんかあったら連絡しろ」と。連絡して、じゃない。連絡しろ、だ。もう別に何時だってよかった。すべてが終わると疲労困憊していたはずなのに、家に帰っても全然眠れない。れいなの容態が気になって仕方なかった。
 私には、恋愛がわからない。人を好きになるってなんだろう。恋しいってどんな感覚だろう。そんなことを思いながら眺めた天井は寒々しくて、病院はあったかいだろうかとまたれいなのことを考えた。そしてちゃんと寝ているだろうかと、りゅうがのことも考えた。やっぱり私が一緒にいてあげればよかった。ていうか、私が一緒にいたかった。
 恋愛ができなくたって、人を愛せないわけではない。愛はさまざまな形がある。恋愛がすべてではないはずだ。私はもう人間としてりゅうがとれいなのことを愛しているのだと、その日初めて気がついた。なんだそれ。自分でも驚いてしまったほどだ。今の今まで生きてきて、そんなことは一度も思ったことがなかった。恋愛ができないことを『欠陥』かのように言われることがある。もったいない、そう言われることもある。恋愛ができないからといって、私から勝手に『愛』を取り上げるな。

 だから、私の愛を疑られるとムカつく。
 この前、ラーメン屋の餃子を食べながら、私は「これ、記事のタイトルにしよう」と唐突に思った。
 同性婚に対し、否定的な意見を持つ人の中には「制度が悪用されるのでは」と言う人間がいる。そんなこと言ったら異性婚じゃ年間にいったい何人が『制度を悪用』してんだよ。そもそも愛し合う人たちなんて、具体的に証明どうこうできるものではない。愛の形は多様だから。個人的には「悪用されるから」という言い訳をされるくらいならば、ホモフォビア的な理由を口にしてくれた方がまだマシだ。
 あの不恰好な餃子だってりゅうがの愛だし、私に当然のように「食べに来るやろ?」と言ったのもれいなの愛だ。私の布団を置いてくれたのも、歯ブラシがあるのも、りゅうがの保護者だと他の親に紹介してくれたのも、私がふたりには『嘘』をつかずにいられることも、全部全部。

 もしも誰か愛する人がいるとして、その人への愛を「証明しろ」と言われたら、あなたはどう思うだろうか。きっといい気はしないはずだ。それと同じ。
 私たちの愛を、疑られるとムカつく。覚えといて。



明日は、

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