月曜日の夕立ちはつめたい

走り出した気持ちが家出して戻ってこないときに書く

夏への扉、現在安全点検中

 写真は「歯ブラシ買って帰ってきて」と言われた日のものだ。私はリ・ジョンヒョクの「分かってる」スタンプをひとつ送り返し、いつも使うドラッグストアに寄って、いつも通りの3本を買い物カゴの中に入れた。


 歯ブラシは替えるタイミングを逃しがちだ。信じられないほどに毛先が広がったものでも、放っておくと彼らは平気で使い続ける。そのためこの1年ほどは『毎月10日に3本とも交換する』というルールを私が守らせていた。歯医者に通う羽目になることを考えたら安い出費だ。
 3人いれば口腔内の事情も違うし、歯ブラシの好みも違う。りゅうがは磨き残しが多く歯茎があまり強くないため、小回りの利く小さなヘッドの『やわらかめ』を使う。れいなはとにかく「磨いた」感が欲しいらしく、いつも『かため』のものを好んだ。そして私は彼らの間を取って『ふつう』。毎回3本の色味がかぶらないよう、私が選んで買って帰る。
 しかし同居人ではない私の歯ブラシは、彼らと違い毎日使うわけではない。私の1本だけは毎月9日でもちょっと綺麗で、それをゴミ箱に捨てるたびに悪いことをしているような気持ちになる。サステナブル的な観点では悪いことだったりするのだろうか。
 ふとカゴの中を眺める。写真を撮ってみた。記事を読んでくれる人には、どう見えるだろう。ここに歯ブラシが3本入っていることが、私には当たり前になってしまった。泊まっていくことの方が少ないので(スペース的な都合で)、実際は家に帰ってから磨けばそんなもんなのだ。それをわざわざ3人で同じ歯磨き粉を使い、くだらないバラエティを見ながら、隣に座って歯を磨く。私はそんな時間が好きだった。

 この前、仕事中にれいなから電話がかかってきた。実はこれは結構珍しいことで、そのタイミングで電話が取れなかった私は、彼女にすぐ折り返し連絡をした。れいなはなんでもかんでもとりあえずLINEするという性分で、そこをショートカットして電話をしてくることはあまりない。こういうとき、相場は大体「りゅうがに何かあった・ある」ことが多いので、私は身構えてしまう。別に私は勇敢でもなければ、強い人間でもない。子ども相手に話していたってすぐ泣いてしまうし、りゅうがには無理に傷つかないよう手抜きをする方法ばかり教えている。それがいいか悪いかは、まあ置いておいて。
 れいなからの電話はこういう内容だった。「りゅうがが学校行っとらんらしくて、なんか聞いとる?」。これは翻訳すると「様子見てきて」という意味だ。もう昼近くだったので、昼休憩を犠牲にして私は家に様子を見に行った。
 りゅうがが学校をサボること自体、正直言えば珍しいことではない。しょっちゅうではないが、たまーにあることだ。私もれいなも叱らない。私もたまに有給休暇で一日中映画館に入り浸ったりするし。でもりゅうがの場合は漠然とした「行きたくない」ではなく、たいてい何かしら明確な理由があることが多かった。だから私たち保護者にはヒアリングする義務があったし、そもそも本当に家にいるのか所在確認する必要がある。家になにもないと困るので、行きしなにスーパーで総菜を買った。ついでに私の分も買う。れいながナス嫌いなので普段はスルーする、ナスのはさみ揚げ。

 そしてやっぱりりゅうがは家にいた。訪問者が私だとわかったら素直にドアを開けたし、むしろ「来ると思っとった」と言うではないか。いい根性しとんな。どうやらずっとNetflixとよろしくしていたようで、もう何度観たかもわからない『好きだった君へのラブレター』をまた観ていた。とりあえず学校には連絡を入れる。寝坊して行くタイミングを逃した、といったようなことを言っておいた。多分嘘ではないし。今は「具合が悪い」という言い訳を使うと、色々と面倒なのだ。
 私は買ってきた総菜を皿に分けながら考える。「なんで学校行かんの?」、そんなの行きたくないからに決まっている。じゃあ「なんで学校行きたくないん?」、聞いてもいいものだろうか。りゅうがは別に学校自体、嫌いなわけではないのだ。去年の担任は苦手だったようで、そういう意味では行きたがらなかったけど。今年のクラスは楽しいと聞いている。それを「行かない」と選択をするのだから、前日に友達となにかあったか、なにか心的負担のある行事があるのか、その両方だろうか。
「どしたん」
 結局こういう聞き方になってしまった。変にオブラートに包むと、逆に傷つけてしまったりするので難しい。この年頃の子は特にそうだ。こちらの渡したものをオブラートごときつく握り、ガッチガチに硬くして投げつけてきたりするから困るのだ。どうやらお腹は空いていたようで、箸でナスをつつきながらりゅうがは黙っていた。
「……もうすぐプールがある」
 口に物を入れているときは喋るなと普段注意するのだが、りゅうがはそれを言ったきりしばらく咀嚼をやめなかった。

 プール、水泳授業。私も大嫌いだった。
 学校のプールって、維持にものすごくお金と手間がかかる。小学校は特にそうだ。1年と6年では水深が違うので、水を増やしたり減らしたりすると水道代がバカにならない。あとは消毒する薬代だとか、水質検査だとか。夏場だけのものとはいえ、管理もめちゃくちゃ手がかかるのだ。それをたいていの学校は仕方なく教員が当番で回している。校舎と同じでプール施設も老朽化するので、それを理由に水泳授業を取りやめる自治体も増えてきた。しかし依然として日本国内では「水泳授業がある」という方が圧倒的にマジョリティで、りゅうがの通う学校もそうだった。
 はて、去年こんなこと言ってたっけな。私はゆで卵を茹でながら考えていたが、去年のことが思い出せない。それもそのはずだ。去年はコロナ禍で私たちの住む県は学校が休校になっており、授業の開始自体が遅かった。そのため水泳の授業はまともに行われないまま秋になり、プールに無理やり入る必要性自体がなかったのだ。今年はそうはいかないらしい。
 りゅうがは別に泳げないわけではない。友達に誘われて温水プールや川に行っていたし、私が送っていったことだってあった。だからりゅうがが水泳の授業を拒否するのは、別の理由がある。
「私も嫌いやったよ。太ってたし、水着着たくなくて。クラスの中心におるやつがパツパツやなってからかってきてん。そしたら周りも笑って。すごい恥ずかしくて、中学の3年間それから一回もプール入らんかった」
 これは事実だ。水泳の授業のたびに「生理です」と見え透いた嘘をつき続け、ずっとプールに入らないまま3年間を過ごした。そんなに生理が続いたら病院に行くべきだ。ただの口実とわかりきっていて、体育教師も私を諦めていた。別に泳げないわけではなかったし、その頃の私にとっては夏場の体育の成績が最悪になるだけのことだったのだ。
 そして私が打った博打は、どうやら成功したようだった。りゅうがは「怒られんかったん?」と見事食いついてきた。ああ、やっぱあんたもそうなんだ。
「めっちゃ怒られたけど、そんときはハイハイって聞くふりしとった」
「え、やっば。3年間も? 強くね?」
「途中でほっとかれるようになったし。私んとき、スクール水着だけやったからな。あの競泳用みたいなやつだけ。あんなん着たくないし」
 りゅうがの箸は完全に止まっていて、別に珍しくもない私の顔を穴が開くほど見つめていた。さて、どうしたもんかね。そのときは「今日、また夜来るわ」と言って、私はりゅうがの家を出た。多分れいなに聞くより、調べた方が早い。

 その夜、りゅうがは勝手に学校を休んだという事実に少し罪悪感があるのか、いつもより早く就寝した。れいなはチューハイを飲みながら、私は三ツ矢サイダーを飲みながら、りゅうがの学校のホームページをふたりで見ていた。
 最近の学校は学校からの配布物を、PDF媒体でホームページに公開していることが多い。完全にメールやLINE配信に切り替えているという話も聞く。しかしそうなるとアクセスができない家庭が必ずあるので、結局紙媒体で配布し、それをホームページに載せておくのが一番確実な方法だ。りゅうがはたまにランドセルの底にくしゃくしゃのおたよりが入っているタイプだし、れいなはれいなで「字いっぱいあるの無理」と学校だよりなんか全然読まない。私と学校のページを見ながら、彼女は「こんなんあるんや」と呟いていた。
 水泳授業のお知らせ。目的、日程、用意するもの、注意点。許可される水着なる項目を読み、私はスマホを投げつけてしまった。女子はスカートのついたものは禁止、キュロット型も禁止、セパレートも禁止、ラッシュガードなんてもってのほか、男子なんてズボン型のみ。
「今何年?」
「令和3年」
「マジふざけとんな」
 私とれいなはこのやりとりをする。ふたりで倒れ込み、そのまま寝転がりながら、今度は中学校のホームページを見てみた。りゅうがの学校から大半が進学するであろう、同じ校区内の中学校だ。中学校のおたよりも、案の定同じことが書いてあった。おそらく中学に進学したとき、指導が面倒だからこの時点からガチガチにルールで縛っておくのだ。のっぴきならない事情があれば考慮されるのだろうが、りゅうがのように「身体を見られたくない」といった程度のことは『単なるわがまま』と処理される。男なら海パン履けよ、ってか?
「入りたくないもん、入らせんでもいいやろ」
 そもそもれいな自身、そういう意味ではまったく真面目とは無縁だ。彼女がこう言うのも織り込み済みだったし、私もそう思う。ただりゅうがはプールに入りたくないのではなく、指定された水着を着るのは嫌だ、だからプールに入らない。私はそれが引っかかっていた。
 ただ私たち一家庭がギャーギャー騒いだところで、きっと「面倒な家」とレッテルを貼られておしまいだ。なにせ中学校に倣っているのだから、あの学校なりのポリシーがあって規制しているわけではないのだろう。実はこういう思考停止状態が一番面倒だ。
「明日、りゅうが送ってってくれん?」
「いーよ」
「泊まってく?」
「いや、帰るわ。明日いつも通りね」
 最近りゅうがはれいなと一緒にいるところを、人に見られたがらない。買い物に行っても、私たちふたりから距離を取って歩く。私自身は親の顔色を窺って反抗期を自分で押さえつけたタイプなので、りゅうががああいった態度を取る健全さにほっとしている。
 ただ問題はれいなは嫌がるのに、私にはそうではないという点なのである。だから最近は習い事の送り迎えが私の仕事になりつつあった。れいなもれいなで「私もふたりで遊びたい」などと言うから、親子で私の取り合いをしている。もう、やめろよ、わかったって。とか言いつつ、私はニヤついているのだ。

 次の日、りゅうがを習い事のところまで送って行ったときのことだ。最初は知らない大人に警戒していた他の子たちが、最近は私にまったく遠慮せず話しかけてくる。この前なんて「芹澤さんってりゅうがのママと付き合ってるん?」と聞いてきた。勇者か。自分で言うのもなんだが、子どもに警戒心を持たせないのが私はうまいので、たちまち話せるようになる。私が悪人じゃなくてよかったな。この才能はちゃんとした方法で生かしたい。
 りゅうがが通っている習い事には、同じ学校の子もいれば他校の子どももいる。なんとなくそのとき私はふと思いついて、彼らにこんな話を振った。
「ねえ、プールの水着って決まっとる?」
 その場にいた数人は顔を見合わせる前に、全員大きく首を縦に振った。そこからはまるで滝のようだった。出るわ出るわ、不満だらけ。みずきちゃんのところはスカート付きはOK、かえでちゃんのところは指定でパンツタイプ、えりなちゃんのところはセパレートを着たら買い直しをさせられた、等々。そしてまさきくんとりおくんが「女子は教室なんに、俺ら廊下で着替えるのとか不公平じゃね?」と言っていて、まさにその通りだと思った。
 男子だからと言って、他人の視線に晒されて平気なわけがない。だからりゅうがはプールに入りたくないのだ。そういう環境でほとんど裸同然になり、水着を着なきゃいけないから。りゅうがは前に友達とプールへ行ったときは、ラッシュガードを着ていった(もちろん事前にルールは調べた)。りゅうがの友達はよく知っているのでいちいちそんなこと突っ込まないし、もし聞かれても「日焼けが嫌だ」と答えろとれいなは教えていた。
 ああいう嘘を言えと教えずに済んで、プールに入れて、授業が受けられる。一番の理想だ。ただそこまでの道のりが険しすぎる。実は私には同じく3年間プールをサボった実のきょうだいがいる。私はただ気合で3年間乗り切ったが、きょうだいは賢かった。昔からかかっている病院の先生がそういうことに「嫌ならやらんでいい」と言ってくれる人で、持病のぜんそくを理由に「やらせないでください」と念書を書いてくれたのだ。実際きょうだいは結構なぜんそくだったし、診断書とそれを出されたら学校側も考慮せざるをえない。きょうだいは私のように成績が下がらずに済んだ、らしい。

 あの先生、今も共犯になってくれっかな……私がそんなことを考えていると、またこんにちはと声をかけられた。これは誰だっけ、まりあちゃん? マスクのせいで顔と名前が覚えられない。挨拶もそこそこに、その子が会話に入ってくる。
「うちのお母さん、去年学校電話しとった。なんでスカート型ダメなんって」
「え、なんて言われたの?」
「なんか排水溝に吸い寄せられたり、どこかに挟まったりしたら事故の原因になるからダメって言われた」
 あ、なんか知ってる。あれだ、私の大トラウマ映画のひとつ、『人魚の眠る家』がそんな感じの導入だったな。
「うちはセパレートの水着を買ってもらったんです。そしたら泳いでる間にめくれてくるからダメだって」
「そんなことないよ、マジでない! 上がってくるけどめくれるなんてない! てかどんな泳ぎ方したらめくれるん」
 また別の子が入ってきてそう言うと、スイミングも習っている子がすぐにそう言い返した。子どもの安全だのなんだのそれは単なる都合のいい建前で、結局指導が面倒なのだと子どもだってみんな知っている。私たちが盛り上がっていると結局他の子も集まってきて、うちの学校はこんなに酷いと愚痴大会になってしまった。
「俺、正直言うと焼けたくない」
「わかる、俺は痛くなるから嫌」
 確かに女子にもそういう子がいるように、男子だって日に焼けたくない子もいるだろう。日焼け止めが禁止されている学校もあると聞いた。私自身肌が弱くて日に焼けるといいことがないタイプなので、それでも黙って耐えている子たちのことを思うと辛くなった。
「確かに男子やからって上半身脱がんといけんの、おかしい気がしてきた」
「脱ぎたいやつだけ脱げばいいやんね」
 その場にいた子たちは、りゅうがや他の男の子の話を聞いて、誰も「男なんだから我慢しろ」と言わなかったのが嬉しかった。
 今時の子どもたちはとてもフルイドだ。そんな子たちを監督・指導する学校側にもそういった姿勢が求められるべきなのに、学校現場は何十年も前に決めたことをいまだに「正しいことだ」と押し付けてきたりする。そのときの常識と今の常識は随分違うはずなのに。普通のいわゆる海パンとラッシュガードなら、ラッシュガードの方が布面積多いんだから、売る側だって儲かる気がするけど。なんでダメなんかな。
 しかし教育委員会レベルでトップダウンしてくる案件は仕方ないとして、水着の仕様程度ならば各学校裁量になっている。教育現場は日々上と保護者からの要求で板挟みになり、残業や休日出勤が前提の仕事量に忙殺されている。「規則なので」、そう思考停止しておくのが一番ラクなのは当然だ。
 まあそんな状況もわかる。わかるのだが、この子たちの生きていく未来のためには、それではいけないと思う。じゃあどうやったら変わってもらえるのだろう。無力な私にはわからなかった。

 しかしこの前、まさかのところから「これ」が解決しそうなのだと聞いた。
 なんでも、あの日に話をしていた子の中に政治的なおえらいさんの孫がいたらしい。孫に「おじいちゃ~ん」と言われ、ふんふんと話を聞き、彼はたまたま顔見知りだった(上の方の)学校関係者に「おかしくないか」と話をした。そこから議論が広がっていき、今現場では検討したりしていなかったりするらしい。これは噂好きな誰かのママから、習い事に迎えに行ったときに聞いた。
「うちの学校もこの前職員室のホワイトボードに職員アンケート答えろって貼ってあるの見たから、話し合いはしとる気がする」
 りゅうががしれっとそんなことを言った。おう、お前、よく見とんな……。
 嬉しい反面、結局は『権力』がものを言うのだとちょっと白けた気持ちもある。しかし嫌だと思う子が嫌なものを着なくて済むかもしれないのは、きっといいことのはずだ。夕飯の最中にこんな話をしつつ、私がここにいることが『普通』になっているなあと、私専用の食器を見ながらぼんやり考えていた。
 その日は私が夕飯を作った。私は料理が嫌いだ。やればできるが、やりたくない。小さな頃から母親に「嫁に行って料理もろくにできんかったら、私が恥をかく」と仕込まれてきたせいだ。本当に料理が嫌いだ。でもこの家では、私は料理ができる。
「……もしラッシュガード今年もダメやったら、プールサボってもいい?」
 りゅうがが恐る恐るといった風にそう言ったとき、れいなが間髪入れずに「いいわい、そんなもん、入らんくたって」と返したのが私は嬉しかった。だから私も「いいいい、入らんでいい」と付け加えた。りゅうがは久しぶりにニコニコと嬉しそうだった。

 この前、職場のボスに「こういう状況で育児に参加しているので、子どものことで休んだりしたいです」と、やっと伝えることができた。ボスは了承してくれたし、私がしていることについて「みんなができることじゃないよ」と褒めてくれた。上手く行きすぎていて怖い。でも去年までの上司だったら、絶対に言えなかったと思う。これも人選ガチャだ。
 そして夏休み前のとある行事に、『保護者』として私が参加することになった。私だけが緊張していて馬鹿らしいのだが、りゅうがに「いいやん、ブログ書くネタできて」と言われた。お前、そういうとこ私に似たんか?


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