月曜日の夕立ちはつめたい

走り出した気持ちが家出して戻ってこないときに書く

「ご希望の決戦日を書いてご提出ください」

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校名の入ったスリッパって、一足いくらくらいなのかな

 自分の人生が映画化されたとして、まあその映画の出来は置いといて、自分としては「ここ、山場だな」と思う瞬間がある。でもそれは他人の目から見ると、本当にまったく大したことのないシーンだったりするわけだ。
 この映画、きっとfilmarksではボロクソに言われるんだろうな。風通しのいいんだか悪いんだかわからない廊下で、とても硬い椅子に座りながら、現実逃避の手本のようなことを考える。私は緊張で喉がカラカラだった。


「ねえ『通知表渡し』、行ってくれん?」。
 6月に入ったばかりの頃だ。クーラーをつけるか、つけまいか。ああ、でも試運転まだだっけ。電気代に怯える日々がはじまる。そんな暑さの日だった。彼らの家でりゅうがの宿題の進捗を見ていたとき、宿題に飽きたらしいれいなが突然そんなことを言い出したのだ。
 私たちの住む県では『通知表渡し』という悪しき風習がある。悪しきの部分を強調したい。通知表の部分は成績表・通知簿・通信簿等々の類語が入ることもあるが、意味は同じだ。学期末に各家庭に配布される個の成績表を、二者面談ついでに親がわざわざもらいに行くという「なんでそんな余計なことするねん」的イベントである。
 私の知っている限り、これを好きだ・やりたいと言っている教員にお目にかかったことがない。各家庭から希望日と時間を聞き、タイムテーブルを組み立て、他のきょうだい児とかぶらないよう時間帯に配慮し、ここぞとばかりに不平不満をぶつけてくる保護者たちと数日間ずーっと顔を合わせ続ける。希望者だけじゃない、なにせ成績表が人質なのでクラス全員分だ。想像しただけでぞっとするし、保護者も保護者で、ときに仕事を休んで絶対に行かねばならないのは手間だとも思う。なんであんなことが続いているのかさっぱりなのだが、一向になくならない。謎の『伝統行事』なのである。
 それに、私が、行くの? なんで?
 りゅうがの通う学校では、このコロナ禍でも例年通り学期末に行われる予定らしい。先生がた、お気の毒に。時間帯希望調査的なものを眺めていたらしいれいなは、世紀の大発見でもしたかのような明るい声で、私にそんなことを言い出した。そこそこ付き合いも長くなってきたのでわかってしまったのだが、れいなは本気だったし、言い出したら絶対に曲げないときの顔をしていた。
「それってさあ、そもそも私が行ってもいいもん……?」
「わからんけど、私が都合悪かったらいいんじゃない? 緊急連絡先に名前入っとるし」
 そうなんである。れいなとりゅうがには身寄りがないので、万が一なにかあった際に母の次に連絡をしてほしいと、学校には私の名前と電話番号が提出されているし、実際に学校から電話がかかってきて何度か迎えに行ったこともある。
「私より休み取りやすいやん。ね、そうしよ。りゅうが、たまにはママじゃなくてもいいやろ」
「別に……どっちでもいい」
 りゅうがはタブレットから顔も上げずにそう言った。マジかよ。そして私はれいなが行きたくない理由が薄々わかっている。ひとつ前の記事にも書いたが、このときはりゅうががプールをストライキしていたからだ。担任に面と向かって説教されるのが嫌なのだ。私だって学校で「いけないこと」とされていることを真正面切ってやってる最中に、担任になんて正直会いたくない。貧乏くじ押し付けやがって。
 そのときは正式な日程すら決まっていなかったが、都合よくその日のれいなは仕事が立て込むことになったらしい。担任の先生、万が一この記事読んでたらごめんなさい。
 かくして私は公的な保護者デビューを果たすこととなる。今回の記事はその話だ。

 校内で履く靴のことは全国的に上履きというらしいが、私たちの地域では『内履き』という呼び方がメジャーである。7月のとある日、私は休みを取り、りゅうがの小学校へマイ内履き(※100均のスリッパ)を携えてやってきた。入ったところに来客用スリッパが山のように置いてあったが、なんとなくこの時節柄、履く気が起こらなかったからだ。
 学校からの「面談、いつがいいですか」という希望調査には、私の都合を書いて提出した。気が重くないと言えば嘘になる。りゅうがはもう高学年なので、彼らの保護者はこのイベントを既に何度もこなしている人がほとんどのはずだ。対して私はまったくの初心者である。ていうか、まずどんな顔して人んちの子どもの成績の話を聞くべきなんだろうか。家族だけど、私は家族じゃない、残念ながら。
 面談は各教室で行われるので、私は案内図をじっと眺め、きょろきょろとりゅうがの教室を探して校内をうろついた。教室に着いて欲しいような、欲しくないような。歩き方、めっちゃ変だったと思う。保健室の前に貼ってある壁新聞的なものを熟読してみたりもしたが、結局約束の時間はやってくるのだ。そんなはずはないがスリッパが重い。私は緊張していた。
 教室の前には他の保護者がひとり待っていて、次の次が私の番だった。れいなから絶対に聞いてこいと言われたことがあったので、それを忘れないよう口の中で復唱する。実はそれ以外は「好きなこと聞いていいよ」という丸投げオーダーだった。私のこと信用しすぎやろ。
 まあ話せる時間というのは限られている。なにせ先生はこれをクラス全員分やるのだ。後ろが詰まっているし、正直これといって担任から詰められるようなことも『りゅうが曰く』覚えがなかった。りゅうがは本当によくやっていると思う。私はりゅうがの担任に、とにかくそれだけは伝えようと思っていた。
 教室のドアが開いて、見知らぬ保護者が出てくる。入れ替わりに私の前の保護者が教室に入っていった。そこから名前を呼ばれるまで、冗談抜きで記憶がない。

 りゅうがの担任の先生は、私に対して開口一番「この前はありがとうございます。なんとお呼びしたらいいですか」と訊ねてきた。真っ当な質問だ。だって保護者面談に、赤の他人が来てしまったのだから。『この前』というのは、ちょっと前に具合の悪くなったりゅうがを学校に迎えに行ったときのことだ。先生とは迎えに来いという電話の義務的な会話と、着いてからりゅうがの荷物の受け渡し程度しかしていないけれど。私は苗字を名乗り、そこから面談もとい尋問のような時間がはじまった。
「芹澤さんは、いつからりゅうがさんと関わられていますか?」
「去年の冬です」
「どういった経緯で?」
「託児サービスで、私がりゅうがを預かったのが最初です」
 いったいなにをメモしてんだ、こえーわ。担任は真面目な顔で私の話を聞きながら、なにか走り書きでメモを取っている。余計なことは口走れない。緊張がMAXに到達して、私の心臓はバクバク鳴り続けている。あの日、確実に私の寿命はすり減ったと思った。
 本当のことを話しているのに、向こうが私のことを疑っているのでは、と疑心暗鬼に陥る。「え、うそでしょ(笑)」。私たちの関係を説明するとき、よく言われることだ。世間の人は自分の子どもでもない他人の子を、同性同士で育て、そしてお互いには恋愛感情がない、というのが信じられないらしい。ちょっと理解があったとしても「嘘つかなくていいよ、付き合ってるんでしょ」と勝手なレズビアン判定を出される。私はそれを肯定できるほど神経は図太くないし、クィアカルチャーに対しての敬意を失いたくない。
 私たちは普通に生きているだけなのに、天然記念物扱いで、いつだって物珍しそうに観察されるのだ。
「りゅうがさん、最近聞き分けが悪くなりましたね。我が強くなったというか」
 担任はその言葉とは裏腹に、ニコニコと笑いながらそう言った。え、どゆこと?
 私は自分の耳を疑る。それは決していい話ではないはずだ。教員にとって聞き分けのいい子どもというのは、とても『助かる』存在である。クラス編成をするときだって、まず要注意の子どもを振り分けたり主軸にしたりして、その子に潰されないような『都合のいい子』たちを揃えてゆくことも多いと私は知っている。
「一昨年の担任と話したんですが、最近のりゅうがさんは自分の言いたいことをきちんと言えるようになったと思います。今まではずっとみんなの顔色を窺っていて、損な役回りを押し付けられることが多かったんですよ」
 実に的を射ている。りゅうがは内弁慶だ。家では甘えただが、友達と接している様子を見ると外ではけしてそうではない。自分をよく見せよう、人からよく思われようと、背伸びをしがちだ。やりたくもないことを買って出たりする。そうしたら嫌われずに済んで、自分の周りから誰もいなくならないから。そんな子だった。
「今年は授業中、よく発言しています。おうちと学校の差がなくなってきたんじゃないでしょうか。芹澤さんはりゅうがさんの自学ノートを見たことがありますか?」
「ないです。見せてもらえないので」
「りゅうがさん、たまに日記を書いてくるんですが」
 初耳だった。自学ノートというのは、自主学習ノートのことだ。自主勉強ともいう、多分これも地域差がある。子ども本人が自分でなにを勉強するのか決め、自主的に学習するノートのことだ。最近は「週末に△ページ以上やっておいで」といったような宿題が出ることが多かったが、私もれいなも「やっとるから!」とそのノートをずっと見せてもらえなかった。どうやら日記も兼ねているらしい。ランドセルの中に入っているので、正直こっそり開けて読めばそんなもんなのだが、りゅうがとの信用問題なのでそれは禁じ手だと思っていた(し、れいなにも「絶対やるな」と言ってあった)。
 勝手な推測なのですが、そう一言断ってから担任が続けた。
「りゅうがさんはずっとお母さんの『彼氏』をやってきたのではありませんか?」
 図星だ。りゅうがはずっとれいなの『小さな彼氏』だった。シングルマザーの家庭だけでなく、ワンオペ育児傾向のある家庭においてもよくある話だ。保護者と子どもという関係ではなく、子どもを子どもとして扱わず、子どもが庇護でなく依存する対象になってしまう状態のことだ。教育者もスラング的にそう言ったりする。
「学校では子どもひとりひとりにファイルがあって、それで毎年申し送りをするのですが、一昨年のりゅうがさんと比べて目に見えて落ち着いていると思います。自分の好きなことを隠さず話すようになりましたし、りゅうがさんは異性とも仲良くできるので、りゅうがさんをハブにしてクラスの雰囲気もよくなったと思います」
 こんなようなことを言っていた気がする。『ハブ』という単語のインパクトでちょっと薄れてるけど。ハブて。まあでもハブられてる方のハブじゃなくてよかった。
 この人、まともな人だな。私は膝に手を置いて、相変わらず緊張しながら担任の話を聞いていた。実は去年の担任は「女みたいなこと言うな」、「男なら我慢しろ」というような、前時代的なことを平気で口にする人だった。一度クラスの子と揉めて家族ぐるみで話し合ったとき、りゅうがに「許してやらないなんて女々しいぞ」と言い放ち、その場にいた人間全員をドン引きさせたのだ。
 教員と一口にくくっても、その肩書きを着ている人間はそれぞれ違う。自身の忙しさを理由に学びを疎かにし、指導が面倒だからと多様性の存在を拒否する教員を私は山のように見てきた。だからこの人がりゅうがの担任でよかったと思えた。
 実はプール授業も、最初はなにかと入らない理由をこじつけていたのだが、途中で突然ラッシュガードの着用が許可された。ストライキをはじめてから数回経った頃、もう絶対定時過ぎとるやろ、という時間に担任から「ラッシュガードを着せてもいい」という電話があったのだ。そのとき私はいなかったのでれいなが応対したのだが、要は担任の先生が生徒指導的な人たちに嘘をついてくれて、特例で着られますという話だったらしい。
 本当は「着たい人は着てもいい」というところに落ち着くのが一番よかったし、りゅうがにも「ズルをした」というような罪悪感を持たせたくなかった。なかったけれど、着てもいいというなら本人だってそりゃあ着るわな。そんなことがあったので私はお礼を言いたいと思っていたし、担任の先生は去年と違って話が通じるんじゃないかと思っていたのだ。

 聞き分けが悪くなったというのは、つまりは自己主張ができるようになったということだ。それって、中学行って部活で潰されたりしないだろうか。脳裏によぎらないでもなかったが、人間として正しいのは今のりゅうがの在り方だと思う。帰ったら成長を素直に褒めようと思った。
「宿題も欠かさずやっていますし、勉強も伸びました。特に国語がすごいと思います」
 これは実は理由がなんとなくわかる。私とつるみはじめてから、字幕で映画をよく観るようになったからだ。出会った頃のりゅうがはあまり漢字や言葉に強くなかったが、ここ1年くらいで読める漢字と語彙が飛躍的に増えた。加えてりゅうがはNetflixとお友達なので、数撃ちゃ当たるを実践している。他の子と違ってたくさん習い事をさせられない分、時間だけは有り余っている。さまざまなジャンルのさまざまな映画に触れて、背景を読み取る能力が育っていったのだと思う。
「この前、作文持って帰らせたんですけど。芹澤さんもお読みになりましたか?」
「はい、読みました」
「よく書けてたので、りゅうがさんだけコピー取って持って帰らせたんです」
 なんやと。りゅうがは少し前にとあるテーマで書かれた作文を持って帰ってきたのだが、それがあまりにきちんと書けていて感動したのだ。私とれいなは「やばい、天才かもしれん」、「りゅうが文才あるんやわ」などと親バカよろしく褒めちぎった。なぜコピーなのだろうと思ってはいたが、まさか先生のご厚意だとは。いやめっちゃよかったんやもん。ちなみに私は音読してりゅうがに怒られた。
 悲しいかな、元々れいなの顔色を窺って生きてきたので、そういう能力は潜在的に備わっていたのだと思う。それが映画を観て語彙力や漢字力を獲得することにより、言語化ができるようになったのではないかと私は推測している。さながら人類の進化。
「芹澤さんの話もよく聞いています。日記によく出てきます。すごく『文化的』で」
「え、なんて言ってるんですか……?」
「いや、それは自分からは言えないです。見せてもらってください」
 ガード硬えわ。やっぱまともな先生だ。ていうか文化的ってなに? まあとりあえずよかった、のか? 私はぺこぺこと頭を下げる。こんなに褒められるとは思ってもみなかった。褒め殺しだ。ではこれから嫌な話をします、そう切り出されるかと思えば本当にこれで終わろうとしているではないか。
「ご家庭で気になることはありますか?」
「最近ちょっと、反抗期気味で……プールとか……」
「ああ、まあプールはいいんです。たまに家、飛び出しちゃうんですよね」
 りゅうが、そんなことまでノートに書いてんのか。しかも勇気を出して切り出したプールの話題はほぼスルーされてしまう。プチ家出の件は答えづらかったが「はい」と答えるほかない。それでも最近は回数も減っている方だったし、りゅうがが落ち着いている、と、思う。うちら的には。
「手とか出ないですか?」
「あーそれはないです」
「じゃあ気にしないでいいと思いますよ。夜出歩くのは心配なので、次に書いてあったら自分も返事に書いておきます。思春期が来るのは普通のことですから」
 ま、まともすぎる……。れいなからの『宿題』も秒で終わった。
「りゅうがさんとの交換日記、自分は楽しみにしてるんですよ」
 帰ろうと立ち上がったとき、担任がそう言った。簡単な言葉なのに、なんだか胸がいっぱいになった。ちゃんと、りゅうがの言葉を聞いてくれる人がいるんだ。
 私は預かった成績表を後生大事に抱き込んで、先生に頭を下げて教室を出た。永遠のように感じられた時間だったが、時計を見ると実際は4分程度しか経っていなかった。

 その日は晴れていた。私は仕事が立て込んでいたはずのれいなと(ここでダブルクォーテーションポーズしたい、この野郎)、家で何度目かの『創造営2021』を観ていたりゅうがを拾い、夕方に海へ行った。砂浜まで車で乗り入れることができる海岸があるのだ。
 車内ではりゅうがのリクエストで、ジョリン・ツァイの『怪美的』を延々聞いていた。聞き取れる歌詞が「Nanana」の部分だけなので、私たちは3人でそこだけ合唱してゴキゲンになる。この曲は中華版アイドルオーディション番組『創造営2021』で、フー・イェタオという練習生がファイナルラウンドで踊った、台湾の有名なディーバの曲だ。
youtu.be

 イェタオは最初いわゆるフェミニンな見た目をしていて、他の練習生に「あんな綺麗な男を見たことがない」と言われるような、ジェンダーの枠組みに捉われない人だった。ゆえに保守的な層の視聴者からはバッシングを受けたりしていたのだが、ファイナルで彼が選んだ『怪美的』という曲は「私は私の基準で美しいのだ」というフー・イェタオの集大成のような歌詞だった。
 りゅうがは割と早い段階から、親近感からかイェタオのファンだったのだが、ファイナルのステージングを見てから彼のことが余計に好きになったらしく、私の車に乗るときは絶対に『怪美的』をリクエストしてくる。ちなみにファイナルのダンスは完コピ。
 れいながホイップクリームと白桃を挟んだサンドウィッチを作ってくれたので、海辺の砂浜にシートを敷き、沈む夕日を眺めながら3人でそれを食べた(一応書いておくが屋外だし、周りに人がいないところに車を停めた)。れいなとふたりでちょっと砂浜を歩いたのだが、まさかこんなところにヒール履いてくるやつがあるか。れいなは足が砂まみれだった。
 前にも書いたが、最近りゅうがは反抗期だ。れいなと一緒にいるところを誰かに見られるのをとても嫌がる。それは別におかしなことではないし、むしろ遅かったくらいだ。りゅうがの情緒が健全に育っているのは喜ばしいのだが、相変わらずりゅうが的に私だけは「近寄ってもOK」判定が出ていて、現在進行形で私はめちゃくちゃれいなにやっかまれている。だから3人で出かけたのも久しぶりだった。
 たまに学校に送って行ったり(B'zのサブスクが解禁された朝、『LOVE PHANTOM』を聞いて「この曲のイントロ世界一長いやろ」と言うのでウケた)、相変わらず習い事に送って行ったりもする(この前は習い事仲間の女の子たちに捕まって「無人島にひとつだけ持っていくとしたら何持ってく?」とい聞かれて「ナイフ?」と答えたら「普通過ぎ、チョイスがダサい」と言われた)。これは前までれいなが行っていたことだ。私としてはできる範囲では支援したいのだが、じゃあついでに買い物に行こうとれいなが同乗しようとすると「ママは嫌だ」と言い出すので結構困っている。

 実は担任も言っていた『よく書けた作文』に対するご褒美で、りゅうがが好きだった映画『羅小黒戦記』のBlu-rayと、ずっと欲しがっていたボードゲームを合わせてプレゼントするつもりで用意してあった。後者はフォロワーさんにお伺いしました、本当に助かりました。
 実はこの家庭は一度もサンタクロースが来たことがない。宗教的な都合でクリスマスを祝えないとか、そういうのではなく。だからこれまで生きてきて他の子どもたちが経験してきたことを、りゅうがにも経験させてあげたいと思っていた。なので安直ではあるが、りゅうがにとっては『なんでもない日』にサプライズをしよう、ということになったのだ。
 今までのりゅうがの頑張りは、すべて『ママに嫌われないため』のものでしかなかった。ママに嫌われないために頑張る、努力する。実際過去のれいなは、りゅうがを放って夜は男と遊びに行く、というようなことをしょっちゅうしていた。小学1年生がひとりで夜にスナックパンをかじって、帰ってこない母親をひたすら待ち、ひとりが怖くてテレビをつけたら近隣から「うるさい」と言われ、もう寝るしかないのに怖くて眠れない。そんなことをしていたのだ、あの子は。
 前に別の記事にも書いたが、れいなは希望して親になったわけではない。予定外の妊娠に交際者が逃走、実家とはほぼ断絶状態で行政への頼り方も知らず、産んで自分で育てる以外の選択肢がない状態に追い詰められ、仕方なくこの生活をはじめた。だかられいな自身、自分の境遇に納得がいっていなかった。親になる覚悟もないまま、ただずるずると時間だけが過ぎたのだ。
 彼女がやっていたことはネグレクト・虐待だ。私の優先順位は『りゅうがを守ること』が一番にくるので、崖っぷちでふたりがぶら下がっていたら間違いなくりゅうがを選ぶ。でもれいなに海に落ちて欲しいわけじゃない。どっちも助けられるなら絶対にふたりとも助けるし、彼女がやったことは許せないし、もちろん忘れもしないけど、彼女の今の暮らし方を見ていればあの頃とは違うのはわかる。
 れいなは対等に支えてくれる人が必要だった。りゅうがは自分がなにかしらを頑張ればママは自分に関心を持ったままでいてくれる、そう思っていた。ふたりとも『認めてくれる存在』が人生に必要だったのだと思う。

 最近のりゅうがは、ようやく自分のやりたいことを自分のためにやる、そんな当たり前のことができるようになってきた。だからこのプレゼントは表彰の副賞であり『ママ以外の大人もあなたのことをちゃんと見ているよ』という意味でもある。
 れいなひとりでは金銭的に厳しいので、私と、そしてドイツと韓国にいる私の友達ふたりも協力してくれた。ドイツと韓国にガーディアンがいるだなんて、なかなか学校にはいないんじゃないかと思って。私のとんでもないお願いを快諾し、みんなに自慢しなよとふたりが言ってくれたのが嬉しかった。子どもは関わる大人の数が多いほど安定すると言うが、りゅうがのことを見ている人が少しでも多いとわかってほしい。
「先生、めっちゃ褒めとったよ。クラスの雰囲気よくしとるって言っとったし、国語もほら。すごい成績上がったやん」
 そのまま砂浜で、まずもらってきた成績表を渡した。りゅうが本人も最初薄目で見ていたのだが、自身でも国語の成績の上がり方に自分でも驚いていた。最近持って帰ってくるテストはほぼ100点に近かったのだが、あれだけできるようになっていても「自分は勉強ができない」と、思い込んでしまったら払拭が難しいのかと、ちょっと複雑な気持ち。
「あとこの前持って帰ってきた作文あったやん? あれ、他の子持って帰ってないんやって?」
「……先生が言ったん?」
「なんで黙っとってんて、めっちゃよかったんにさあ」
 りゅうがはばつが悪そうに、気恥ずかしそうに、そしてちょっと嬉しそうに、唇の中でなにかモゴモゴと言っていた。照れ隠しだということはわかっていた。
「てことで、よく頑張りました賞をあげます」
 そこでラッピングした円盤とボードゲームをトランクから出し、れいながりゅうがに差し出した。最初は「誕生日じゃないけど……」と戸惑っていたが、慎重に包装紙を開けたりゅうがは現れたプレゼントに絶叫した。
「うわ、やったやったやったやった!」
 確かに私は数えた。4回も言ってた。家ではあまり物理的に物音を立てられないので(近所の人から「これだからひとり親は……」と言われる、それひとり親関係ある? 腹立つ)見たことがなかったが、りゅうがはぴょんぴょんと飛び跳ねていた。私はそれを見て、あの子の仮名を『りゅうが』にした理由を久々に思い出した。
 その場でボードゲームをやろうとれいなが言ったが、りゅうがが「砂まみれになるから嫌や」と秒で却下した。所有者本人がそう言っているのだから仕方ない。私たちは買っておいた個装のスイカバーを取り出して、波打ち際に並んで食べた。普段は箱でしか買わないので、私たちにとっては贅沢である。
 私たちの住む県では、毎日どこかのスーパーで箱アイスが半額になっている。夏だけではなく、冬でも普通によくあることだ。だからあまり定価で箱アイスを買う人っていないんじゃないだろうか。近所のスーパーで半額の日に買えば、スイカバーなんてミニの6本入りが200円くらいで買える。だからBIGサイズはささやかな贅沢なのだった。
「先生に手紙っていうか、日記で書いてん。お母さんはわざと行きませんって」
 私が知覚過敏に苦しんでいる間、りゅうがとれいなは既に1本食べ終わっていた。私がすごい顔をしてアイスを食べているところを膝を抱えて観察していたりゅうがが、いきなりこんなことを言い出したのだ。

 この前、ママじゃなくておじろちゃんが学校に迎えに来たやん。あんときシオンとかリンもおって、おじろちゃんがふたりと普通に喋っとったやろ? それ見て先生が「あの人、知ってるん?」て言うから。普通やったら家族じゃない人には引き渡しせんけど、おじろちゃんは学校に話して電話番号とか書いたカード出したし、明らかにとシオンもリンも知っとって、だから先生も「あれいったい誰なん?」って。
 だから日記にそのまんま書いた。ママがだらしなくて困ってたときに助けてくれて、それからよく家にも来るし、ほとんど顔も知らんじーちゃんばーちゃんよりも家族っぽいですって。宿題完璧にやってくるんは、ママじゃなくておじろちゃんが見てくれるからやって。多分ママより勉強のこととか詳しいし、ちゃんと話できるからおじろちゃんに通知表あげてくださいって。
 プールも入らんでいいって、ママとおじろちゃんも言ってくれたって書いた。そしたら先生が「本当は入りたいなら、なんとかするよ」って言ってくれてん。先生、いい人やろ?

 一言一句間違えずに覚えているわけではないので、細かいディティールはちょっと違うだろうが、りゅうがはこんなようなことを言っていた。とても落ち着いていた。私とれいなは驚きのあまり何も言えず、それだけを言い残して立ち上がり、海に足を浸けに行ったりゅうがの背中を呆然と眺めた。
 大きくなったなあ。
 れいなが独り言のように呟いたので、私も黙っていた。身長のことではないと、さすがに野暮な私にだってわかったからだ。なんだよ、先に言ってくれよ。先生に「れいなが来られなくてすみません、仕事がどうしても……」とか言っちゃったじゃん。れいなは「ぶっつけでいいやろ!」と言ったが私が許せなくて、前日に「第2連絡先の部外者が行くんですけど、大丈夫ですか?」と私が白々しい電話をさせた。あれも無意味だったのか。
 いやいいんだけど、いいんだけどさ。次担任の先生にどんな顔して会えばいいんだよ!

 私はここに他の友達と来たときの経験則で「どうせ足を汚すだろう」と踏み、洗うための水を持ってきていた。なんか、元カノと行ったところに今カノを連れてくるやつの心境である。相変わらずそんなことをしただけで、れいなは私を『王子さま』と呼んだ。なので王子さまらしく、砂まみれのふたりの足も洗ってやった。れいながペディキュアを塗っていることに気づき、ちょっと嬉しくなる。れいなはこういうところに気持ちの余裕の有無が出やすいのだ。自分自身がパニックになると、爪なんかすぐボロボロになる。
 最初の頃、私はりゅうがのケアばかり考えていたが、最近れいなにもその目を向けられるようになってきた。先月から月に1本、彼女にネイルポリッシュを贈っている。今月も頑張りました賞のサブスクリプション。爪がきれいなうちは私が全部洗い物をするというオプション付き。今まで散々苦労してきたのに、それが報われた経験がほとんどないのだと、れいなは言う。だからこのくらいのラッキーが彼女の人生に起きたって別に誰も責めやしない。
「知っとる? こういうの『用意周到』って言うげん」
 りゅうがは得意げに四字熟語を言いながらも私に足を洗われていて、なんだかそれがすごくおかしかった。まだまだ子どもだ。どれだけ生意気でも、背伸びをしても、図体が大きくなっても、彼らは子どもだ。私たちが守らなくて、誰が守るんだろう。

 6月、下校中の小学生の列に飲酒運転のトラックが突っ込むという本当に痛ましい事故があった。私は見ず知らずの子どもだろうが、そうやって子どもが理不尽に傷ついたり、虐げられたり、命を落としたりすることに対し、本当に耐性がない。マジでだめ。ほんとに無理。親御さんの気持ちを考えても、もちろん胸が苦しくなるが、どれだけ痛かったろう。つらかったろう。怖かったろう。
 そういうニュースを見ながら怒りと辛さで、私はいつも泣いてしまう。あのニュースを見ていたときも、私は「やりきれん、つらすぎる」と歯ブラシをくわえながら泣いていた。
 でも「まーた泣いとるわ」と苦笑しつつ、ふたりは私にハグをしてくれた。「あんたはそういうところがいいんやわ」とか言いながら。暑いし、人間の体温ってそんなに好きじゃないはずなのに、私は安心してまた涙が出た。
 私の人生がFilmarksでせいぜい星3くらいだったとしても、盛り上がりに欠けるとしても、私はここで生きていくし、ドラマチックじゃなくたってそう簡単に人生は終わらない。そしてこれからどれだけの間、ふたりが私の映画の助演を務めてくれるかもわからない。明日にでも契約解除になったらどうしよう。私もふたりに出会って救われたし、ふたりがいない日常が思い出せなかった。私はその日が来るのが、とても怖い。たまに夢にさえ見る。

 そうれいなに言ったところ、じっとりと目を細めて「ほんと嫌やわ、わざとなん?」と言われた。わざとだよ。たまにゃお前も私のせいで困れ。


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