月曜日の夕立ちはつめたい

走り出した気持ちが家出して戻ってこないときに書く

うちらの実存、勝るあらめや


岡山県・長島にかかる長島大橋。水色で背景には青空が広がる

 久しぶりにブログを書こうと思い立って開いてみると、前にプライド月間への恨み言を書いてから、実に1年が経過していた。私が「家族」のことを書こうが書くまいが生活は続いてゆくし、相変わらず本邦のプライド月間という概念もはりぼてのままだ。
 そのはりぼてを本物にする方法を、ずっと考えている。


【このエントリには以下の表現が含まれます】
クィアに対する差別的な言説
・宗教的虐待
・芸能人の自死
・スポーツコミュニティにおけるホモフォビア
・優生思想
ミソジニー


【出てきがちな人】
◇わたし
 ブログ書いてる人。AロマでAセクのクィア。クリームソーダを名乗るなら絶対にバニラアイスが乗っていてほしい
◇れいな
 私のパートナー。産んだときからシングルマザー。最近マジでひとりでスイカを一玉食い切るもトイレと親友になった
◇りゅうが
 子ども。ゲイ。最近炭酸がちょっと飲めるようになったがコーラは単純に味が嫌いだと気づく
◇るい*1
 りゅうがのマブ。とにかく生クリームが好きでケーキはスポンジが邪魔だと思っている



 この1年で私にまつわるあれやそれやは、めまぐるしく変化した。

 以前私の母は「人生を懸けて新興宗教にどハマりしている」と書いたことがあるが、昨年の7月の某事件がかなりの転機になった。
 私は生まれたときからその宗教を信仰することを強要されてきたし、それが当たり前の生活だったし、その信仰のために奪われてきた人生についてはずっと諦めてきた。取り返せるなんて思いもしなかったし、取り返そうという気もなかった。自分が犠牲になれば母親の機嫌がよかったので、もう「そういうもんだ」と思っていたのだ。
 ただ宗教2世と呼ばれる人たちが取り上げられるようになり、言い方はちょっとアレかもしれないが、「この一揆に乗ったら、私は自由になれるんじゃねえか?」と思った。連日の報道を熱心に見たし、構造や概要を知ることが楽しくすらあった。
 そしてそうこうしているうちに、私よりも先に妹が剣を取った。私の妹はオープンリーのノンバイナリーなので、この妹という表現は正しくない。普段は名前で呼んでいて、やむを得ない場合は「妹子*2」としているので、この記事でもそう呼ぶことにする。
 妹子が母親と、ものすごい喧嘩をした。そりゃあもうすごい喧嘩だった。私たちのアイデンティティを奪っておいて、いけしゃあしゃあと悲劇のヒロインぶる母親はいつも通りだったけれど。ぶつかって傷だらけになりながらも、アイデンティティを取り返そうと奮起した妹子のことを、私は尊敬している。
 私にはあんな熱心さはないし、実際私はずっと衝突が面倒で折れてきた。母親のためになにか事を起こすだなんて、私の心がもったいないとさえ思っていた。ただ今まで私たちがされてきたことは精神的DVだったのだと、妹子のお陰で気づけたし、気づいてしまった。あれから実家の宗教関連についての強制が、ようやく一切なくなった。元々病気をしてから熱心な信仰をしている「ふり」は強要されなくなってはいたものの、一日二度の礼拝と、月に一度の拘束と、食事の前の文言がなくなるだけでも、なんて快適なんだと思っている。
 私の人生って、私のために使っていいんだな。そんな当たり前なことを、日々ふとした瞬間に実感している。

 あと、転職した。これは「私のために、私の人生を使おう」と思い立ってから、ずっと考えていたことだった。
 私は社会人1年目に入社した会社が合わず、その年で退社した。そこからまったく違う畑の業界に転職し、今まではずっとその業界に身を置いてきた。その仕事が好きだったし、元々やりたかった仕事だったのだ。
 けれども、なにせ食えない。いわゆるワーキングプアだった。正直ワープアワープアなりに、色々諦めてやりくりしてゆけば、どうにか生きていけると簡単に思っていた。好きな仕事だからと、自己肯定のために働いていた部分もきっとある。
 ただ数年前に大きな病気をしたことで、状況が一変してしまった。病気が原因で配置換え(まあ要はクビだ)に遭い、時給も随分下がった。月収にすると、平均3.5万くらいは下がったんじゃないかと思う。
 なぜ配置換えを飲んだのか。「病気持ち」というステータスが私を邪魔した。治療を続けなくてはいけなかったので、月収が途絶えるのはまずい。ただ転職しようにも、治療にオペを控えている人間(そして残念ながら学歴がない)を取ってくれる田舎の企業なんて、あるわけがなかった。だから泣く泣く配置換えを飲んで、数年過ごしてきたわけだ。元々低かった収入がさらに下がったことで、ここ数年は正直笑えないレベルで金がなかった。
 実は、れいなとりゅうがと知り合ったのは、治療が一段落してからのことだ。だからふたりは副作用でゲロゲロ吐いたり、髪が抜けてパンパンにむくんでいたり、味覚がなくなって「何食ってもオアシス*3食ってるみたい、オアシス食ったことないけど」と言っていた私のことを知らない。配置換え前に従事していたのはやりたかった仕事だったので、賃金が安くても私はそれなりに頑張れてしまった。しかし簡単に首を切られたことで「やっぱ非正規なんて使い捨てなんだ」と実感させられてしまい、自己肯定感が地に落ちてしまったのだ。
 ずっと、自分が惨めだった。

 学歴もなく、えらい人間(総じて男である)の行き過ぎた言葉を「やだも~!」と笑い飛ばせず、いわゆる異性との結婚願望もなく、人からジャッジされる容姿のよろしくない、大病持ちの、「いい年」をした、非正規職でワープアの女。率直に言えば詰んでいた。田舎じゃこんなの、とてもじゃないがひとりでは生きていけない。
 だからパートナー関係になったれいなにも賃金的に余裕があるわけでもなかったが、ふたりには本当に精神的に救ってもらった。人は「なんで他人のためにそんなに頑張るの」と私に言うが、れいなとりゅうがは私にとって他人なんかじゃないからだ。
 だからいよいよ、そろそろ金銭的に限界だと思った。どうしたってりゅうがの義務教育は終わる。なにかしらの支援制度を使うにせよ、元手は必要になるだろう。私には根本的な貯金がないので、こうなると選択肢はひとつしかない。賃金を増やす。だから転職した。なぜ私が転職するのか。りゅうがに係わる必要経費を、既に折半しているからだ。
 うちはいわゆる「クィアファミリー」と呼ばれる状態だろう。選んだ家族、選ばれた家族。法律がいつまで経っても変わらないので、書類上はなんの繋がりもない。恋愛関係でもない。それでも私たちが存在するという事実は変えようのないものであり、国が認めようが認めまいが、事実なのだ。実存している。だから「本当の家族でもないのに、なんで金払ってんの?」だなんて、本当は二度と言われたくもないし、聞きたくもない。
 恋愛しとらんから、それがなんやねん。私はやってみたら「家族」のために自分を変えられる人間だった。それだけ。

 しかしながら、その転職した仕事がそこそこ忙しい。
 私は社会に出た当時、やってみたい仕事がふたつあった。ひとつは首になるまで働いていた仕事で、もうひとつが今の仕事だ。そして就けたはいいものの、精神的にも結構厳しいものがある。私のスペックでその賃金を求めると結局「そう」ならざるをえないというか「そういう」仕事になるわけだが、結構イエ的なものが前提にはびこる業界なので、ものの見事に息がしづらい。今はやっと仕事を覚えて形になってきた頃合いで、ようやく一段落した程度だ。
 職場の人たちはバラエティに富んでいるが、なんだかんだ人生で失敗した人間が多い。あと法律婚をミスった人が多いので、そういう意味ではとてもありがたかった。未婚という状態をステータス異常扱いされないだけでも、すごく気が楽だ。「結婚しないの?」だとか「彼氏は欲しくないの?」とか、最初のうちは聞かれたけれど。私がヘテロだと疑わないその姿勢自体は、純粋に理解できない。いやあ、自分で言うの何だけど、絶対男に興味なさそうに見えると思うんだけどな。ヘテロってすごいな、自分たちの常識が世界の常識だって信じてるんだろうな。

 ツイッターもやめた。
 私は「よき人間」であるために、努力を惜しまないように生きていきたいと思っている。でもツイッターで日々飛び交う「リベラルはこうあるべき」という理想像に、ちっとも近づけない。金のために転職してからというもの、それが余計に加速した。なりたい自分になれない。「いい人」になれない。誰かのためになんて頑張れない。れいなとりゅうがを守るだけで精一杯だった。
 やめる直前に、プラットフォーム的には存続していても、もうここは瓦解しているのだと思った。日々とんでもない底の抜けたような差別的な発言が引用されて流れてくるし、いわゆる反差別を掲げている人同士が実質派閥化し、毎日やり合っていた。もちろん人というのは全員違う人間なのだから、すべてまるっと同じ考えになるだなんてことはありえない。そこの違いのすり合わせが上手くいかないのか、発言を飛び越え、パーソナリティや人格を攻撃するようなツイートが毎日見えていた。もうなにも見たくなかった。
 案の定、別のSNSまで追っかけてきて「逃げた」だとか「覗きに来るのは手間だからツイッターを復活させろ」と言ってきた人がいたので、ツイッターをやめるという選択をしたことを後悔してはいない。ズタボロになりながらもツイッターで反差別について声を上げ続けることだけが「リベラルとして許される仕草」なのか?
 じゃあもう私リベラルじゃなくていいよ。無理だよ、できないもん。

 そして、ツイッターであまり言っていなかったことがある。
 私はプロ野球ファンだ。ちなみに、ベイスターズが好きだ。
 仕事が忙しくなり、ツイッターをやめ、私に残ったのは選んだ家族と、夜のちょっとした時間だけだった。残業が多いので、あれだけ熱心に足を運んでいたはずの映画館も、月に二度ほど行くのみになってしまった。そうなると必然的に家でぼーっと中継を見ていることが増え、じわじわと自分という人間のパーソナリティを思い出しはじめた。そうだ、私、野球好きなんだった。壁に掛けたユニフォームやらキャップが、当たり前すぎて視界に入らなくなっていた。
 今まで、なんとなくツイッターでは大きい声では言えなかった。構造自体がシス男性に有利すぎるし、トキシック・マスキュリンすぎるし、一部は悪いホモソーシャルの煮こごりのようであり、時に国を背負って戦うのでお国のため感をナチュラルに演出してくるわ、それに際して平気で人種差別的な言説が飛び交い、ヘテロ以外はいないものとされている、少しでもヘテロ以外の片鱗を見せようものならミームにされて延々と消費されるような土壌だ。実際「リベラルのくせに野球好きなんて」と、WBCの時期に言われもした。
 でも今年、久しぶりに球場に行った私は完全に思い出してしまった。私はユニフォームを着て、外野席で応援することでしか癒やされない部分がある人間だった。なんで忘れてたんだろう。コロナ禍と金欠で足が遠のいていたことは大きかったけれど、私はこれを忘れて生きていけるような人間じゃなかったのだ。
 某所に書いた言葉を転載する。

 多分もう20年くらいずっと好きなものを、リベラルや反差別ってラベルを貼るために引っ剥がして捨てる。皮膚に癒着してるから、その皮膚ごと切り取るか、ズッタズタになるの覚悟してベリベリ行かないと無理。それをやれって命令したり、勧める方は簡単でしょう。自分ではやらないんだから。
(中略)
 でも私がKonMariよろしくできないことをよく思わない人はたくさんいて、でもそういう人は私に処分費用を払ってはくれない。私が使いやすく、住みよくしていた私のスペースを「片付けろよ」って、定期的に勝手に窓開けて、言い捨てては去っていく。その窓の建て付け最悪だから、毎回鍵ぶっ壊されるわけ。もう本当に嫌だ。

 前振りが長かった。まあこれは私のブログなので、誰も咎めないだろう。
 先日、息子の彼氏とサシで野球を見に行った。

 私の近況を知らない人に一応説明しておくと、この一年で変わったことのひとつとして、りゅうがに彼氏ができた。小学校からずっと仲良しだった「るい(仮名)*4」だ。
 アロマンティックで恋愛がわからんちんの私にも、ふたりはまあ時間の問題だろうなあといった感じだったので、ふたりが付き合うことを選択したことに不思議はなかったし、小さな喧嘩はあれど今も仲良くやっている。むしろ「だって付き合って失敗したら、友達までおらんなるやん」と『わかっていても*5』のジワンみたいなこと言ってずっと煮え切らないりゅうがを待ち続けたるい、本当にえらいと思う。
 去年の秋口、まだふたりは付き合っていなかったが、りゅうがはるいに誘われて地元のプライドパレードを見に行った。残念ながら田舎なので、東京やら大阪の規模を想像するとこぢんまりとしているし、必然的にいわゆる身バレの可能性も高まってくる。確かパレード自体歩くためにも応募が必要だったため、ふたりは「沿道にたまたま居合わせた」感じで、手を振りに行ったのだ。そのときのりゅうがが「あんなに人おったんに、あの人ら普段どこにおるんやろうね」といったものだったのを、私は強烈に覚えている。私も大きく括れば、日々「そう」見えないように擬態している人間だからだ。

 だから私はささやかな抵抗として、球場へ行くときはクィアコミュニティへの連帯を示すなにかを持って行くよう、自分だけでキャンペーンをはじめた。バッグだとか、リストバンドだとか、そういった小さなことだけれども。
 そして先日、京セラの外野で男性二人組に「もしかしてそうですか」と声を掛けられた。あの場所は不思議なもので、名前も知らない人との会話がするっと成り立つ。3人でハイタッチをした。実はこの前甲子園でもすれ違ったのだが、そのときはひとりで「今日彼氏仕事なんすよ」と、あの人が彼氏であることを教えてくれてちょっと嬉しくなった。試合、負けたけど……
 やっぱり「いる」と示すという行為は大事なことだと思う。私は自分のクィア性を四六時中オープンにできるわけじゃないが、できるときにできることをしようと、ちょっと前向きになれた。もしかしたら私を見て「ああ、いるなあ」と思っている人もいるのかもしれない。
 この一年間で、私は少しずつ自分のアイデンティティを取り返している。取り戻しているというか、なんか「取り返す」の方がしっくりくる。奪取くらいの気持ち。もうこれ以上自分の大事な部分を、誰かのために切り売りしたくなかった。

 じゃあツイッターに書いていたことが嘘かと言うと、そうでもない。なんなら、思ったことや考えはかなり率直に書いていたと思う。ただ綺麗事を書いて、自分が頑張っている、頑張れているということを確認していたのは否めない。ツイッターではなりたい自分になれた気がしていて、私が選んだ家族のことを肯定してもらえるのが嬉しかったのだ。
 そう、誰に肯定されなくとも、私たちは存在するのに。あの頃の私は、完全にそれがすっぽ抜けていた。私たちの実存が先で、啓蒙とかそういうのが後。なのに「クィアファミリーを頑張っている自分たち」を、自分でコンテンツ化してしまっていたように思う。応援してくれる人のためにChosen familyを頑張ろうだなんて、あまり健全な考えじゃない。応援されなくたって、私たちは存在している。いいねやらインプレッションで、露骨に数が見えるツイッター上ならなおさらのことだ。だからアカウントを畳んだことは、悪い選択ではなかったと思っている。

 やっぱり自分がある程度元気じゃないと、誰のことも支えられない。人に寄りかかるのだって、最低限の体力がないとできることじゃない。人という字は支え合ってできています……だなんて昔から言うが、結局寄りかかるには布団から起き上がらなきゃならないのだ。
 去年までの私は、はりぼてだったのだ。善き人のはりぼて、頑張っている人のはりぼて、真っ当な人のはりぼて。あまりにはりぼてを真面目にやり過ぎると、少しずつ感覚がずれてくる。まるでそれが本当の自分の姿かのように思えて、実際の自分と乖離してしまう。はりぼての方を維持しようと躍起になりはじめたら、もうそれは精神衛生上「普通」ではないのだ。やはり私は、あのアカウントに居続けるべきではなかった。

 本当に少しずつ「自分」を取り返している。それでもできる限り、子どもたちには私なりの誠意を示しているつもりだ。ていうか、子どもには誠意は示さなきゃいけないでしょ、大人なんだから。子どもを守る義務がある。ユースのクィアであるりゅうがとるいを守るには、やっぱりある程度の綺麗事が必要だし、それをまっすぐに言える大人の存在が不可欠なのだ。いや、これは私の持論だけれど。りゅうがたちの年頃にちょうど私も「クィアかも」と自覚したが、ロールモデルになって綺麗事を言ってくれる大人が欲しかったからだ。
 特に実の両親から理解を得られていない彼氏に関しては殊更で、最近は彼の父や母が知らないことを私が知っているという状態になっている、志望校とか。私のChosen familyと認識している家族には、もちろんるいも不可欠だ。だから日頃散々「なにかあったら言って欲しい、とりあえず一緒に考えるし、言いにくいことは私から言うから」と言っている。それをるいがちゃんと信じてくれていることも嬉しいし、信じてもらえるだけの関係性は頑張って築いてきたという自負もある。

 りゅうがもるいも、すごくまっすぐだと思う。お互いに倫理的に間違っていることが許せないタイプで、あまりそういったことを黙っていられない。ギャアギャア騒がしい人と、それをじっと見ている人だけれど、根っこの部分で持ち寄っている感覚はとても似ている。だから上手くいっているのだと思う。彼らは出会い方が最悪だったので(りゅうがと友達になりたかったるいが、よくある「好きな子をいじめたい」ムーブでちょっかいをかけ、そういうのが大嫌いなりゅうがに見事に嫌われた)、よくぞここまで関係を構築できたと保護者ながら感心する。きっとちゃんと事あるごとに考えを口に出して、どちらかが極端に我慢するようなことをふたりは許さないからだ。一回本人たちに訊ねたことがあるが、りゅうが曰く「だってバランスおかしくなるやん」とのことだった。リレーションシップにおいて、どちらかが犠牲を払い続けるのは健全じゃない。なんて健全な考え方なんだ。
 あんまりにまっすぐで、眩しくて、素直で、私にできることなんてないんじゃないかとたまに思ってしまう。けれども彼らはやっぱり義務教育中の子どもで、時に大人の力や庇護が必要なのだ。それに私は「困っています」、「弱っています」と顔に書いてある子どもを放っておけるようなタイプでもない。

 5月の中間テストを終えた頃から、明らかにるいの元気がなくなっていった。理由は知っている。成績不振だ。それも学業と部活、W不振である。
 実はりゅうがとるいは「親を説得して一緒に△△高校に行こう」という約束をしている。りゅうがに関してはほぼ問題ないような平均点が取れているので心配はしていないものの、るいが少々苦戦している。「無理」だとか「やばい」だとかそういう程度ではないのだが、「いける」や「大丈夫」かと言われると、ちと怪しい。そんな感じなのだ。
 そして面倒なことに、りゅうがが「俺、遠距離無理」などと言うものだから、るいはめちゃくちゃ焦っているのだった。同じ市内にいたら遠距離ちゃうやろと言いたいところだが、部活をやる予定の高校生のタイトなスケジュールと金銭状況を考えると、まあ近くにいるに越したことはないわな……とも思う。
 るいは、とあるスポーツをずっとやっている。一応その部活でも活躍している方なのだが、最近ちょっと向かい風が吹いている。上手い例えが見つからないのだけど、今まで自分だけがレギュラーだったところに、もうひとり伸びしろのある人間が現れて、併用のような形になった。さすがに対外的なものにはるいが起用されているらしいが、成績によってはレギュラーを剥奪される可能性があるらしい。
 勉強もスポーツも、実際は「不振」というほどでもないのだが、絶妙にプレッシャーを感じ続けるという状況で、るいは日々疲弊していた。

 彼は保護者にカムアウトしていない。前に一度「やりたい」と相談されたことがあったのだが、すぐにるいの方から「やっぱ言えない」と計画をキャンセルされたこともあった。
 過去の関わりから、どちらかと言えば母親は彼の味方であることはわかっているが、問題は父親だ。昭和の頑固親父を想像してもらうと、とてもわかりやすいと思う。私のことも、れいなのことも、挙げ句の果てには自分の妻のことまで「女だろ」とナメていて、まったく話が通じない。会話が成り立たない。もちろんナチュラルにホモフォーブなので、自分の息子が同性を好きだなんて、1ミリも思っていないタイプの人間だ。そしてるいの父はスポーツ推薦で彼を進学させたいらしく、それもるいとの溝を深めている。
「俺、そんな続けたくないんです。なんなら、中学で辞めたいと思っとるのに」
 彼がずっとやっているスポーツについて訊ねたとき、るいがこう言った。しかもこれを彼はまったく親に言えていない。志望校のこともだ。もう彼はスポーツをやりたいフェーズにはいないのだと知っているからこそ、親の強制力で板挟みになり、どんどんすり減っている姿を見るのは辛かった。私が辛いのだから、りゅうがはもっと辛い。そして本人が一番辛いのだ。
 前に家に来たときに、彼はしきりに「はあ、安心する」と言っていた。私とれいなは彼のことを傷つけない人間だと認識されている。それはとても誇らしいことだけれども、実際の原因を取り除いてあげることは、どうしてもできない。頭を抱えて「逃げたい」と零しているるいの髪を、りゅうががずっと撫でていた。

 何度も言った気がするし、これからも何度だって言うが、私は子育ては社会で行うべきだと思っている。実際この世の中は、ひとりやふたりの保護者に丸投げで上手くいくようになんて優しく作られていない。それなのに自己責任論を押しつけられて「自分のせいだ」と潰れていく親を、私は山ほど見てきた。だから自分ができることはやりたかったし、なにより正直に言えば、良心が痛んだのだ。こんなにもるいが苦しんでいるのに、私は何もしないつもりなのか? 人でなしめ、子どもひとり守れないで。
 だからひとつ、彼に提案をした。野球を観に行こう。りゅうが抜きで、ふたりで。


LINEの画面。子どもを野球に行こうと誘っている様子
冒頭に彼が謝っているのは、帰り道にふたりで歩いているところを見つけたので「乗ってけば」と声をかけたのだが、ふたりで歩きたいからと断られたことに対してです。笑

 実は私のせいで、るいは随分とベイスターズに肩入れするようになっていた。りゅうがはルールもさっぱりだし、ダルビッシュ有のことを「え、ダッシュビルやと思ってた……」というレベルなのだが、るいは私と話が合う。朝に顔を合わせると前日の試合の話で盛り上がるし、るい本人が「一回おじろさんと試合観たい」とずっと言っていたのだ。るいの母とは連絡を取り合っていたし、それなりに保護者として実績を作ってきたこともあり、彼を連れて行くことについてはすんなり許可が下りた。

 ただ、当日までにいろいろなことがあった。
 それこそ私は甲子園の外野席で、とある芸能人の訃報を知った。妹子からのLINEだった。


阪神甲子園球場の正面からの写真。緑のツタに覆われている

 かっ飛ばせという声が震えてしまって、正直あまりその前後の回のことを覚えていない。4万人以上がうごめく黄色い波を見つめながら、もうこの世にはいない人のことを考えていた。帰りの満員の阪神電車でも、隣の人が故人のヘイト動画を見ているのがどうしても目に入ってきた。身動きが取れなくて、私は目を閉じ、マスクの下で歯を食い縛った。
 そして次に思ったのは、子どもたちのことだった。大丈夫だろうか、大丈夫じゃないだろうな。案の定だった。
 次の日学校でその話題になった際、言葉の過ぎる友達に対し、るいが「キレた」らしい。それはどちらかと言えば、普段は見切り発車しがちなりゅうががやりそうなムーブだ。それをかなりはっきりと「俺は怒っている」とるいが示したらしく、りゅうが曰く「めっちゃやばい空気やった」そうだ。

 クィアネスを示して悪意に立ち向かうという行為は、誰もができることではない。私個人としては、無防備な子どもにそんなことはやらせたくない。もちろん、差別的な人間に対して立ち向かうというのは、時に必要なことだろう。ただ、それをやらなくてはならない場面と、そうではない場面もあると思う。
 おそらくるいが「キレた」のは、持ち前の正義感がゆえと、コミュニティの人間として許しがたかったからだろう。普段から間違っていることには目をつむれない人なのだ。そんな彼のことを知ってはいたけれど、きっと思うところがたくさんあって、いつも以上に私情が乗ってしまったのだと思う。
 ああ、あの子ストッパー外れかけてるわ。なんとなくそう思った。「いつものるい」であれば静観したけれど、「あのときのるい」は明らかにおかしかった。だから「インスタなんか見るな、TikTokもどうせろくなこと書いてないから見るな」と、ふたりに強く言った。そう言うしかなかった。

 試合当日までのるいは、持ち直したり、へこんだりと、いい風に言えばとても人間らしかった。ただ普段はそんなにもアップダウンが激しいタイプでもないので、結局頭がぐちゃぐちゃになるくらい疲れていたのだろうと思う。それでも私との野球観戦はとても楽しみにしてくれていて、当日迎えに行くと「雨降らんかずっと心配やって、天気予報ばっか見とった」と笑っていた。道中の車中でも、なぜか『さくらんぼ』やら『ダイナミック琉球*6』を熱唱することになり、信号待ちで隣に停まった車の運転手がめちゃくちゃこっちを見ていたが、楽しかった。


青空が広がる屋外球場の写真。富山アルペンスタジアム

 野球観戦は、もはや命懸けである。特に屋外球場での試合は、日光に体力を持っていかれる。学生が夏休みに入る時期と同時に、NPBの試合はほとんどデーゲームがなくなるのだが、暑くて試合どころではないというのが理由のひとつだろう。今回の試合も18時プレイボールだったのだが、やはり強烈に蒸し暑かった。
 るいにはペットボトルを持たせて、それでも足りなくなったら私が買うからと念を押した。彼も素直に「わがまま言っていいすか。みかん氷食いたい」と言ってきたので払い甲斐があったのだが、残念ながらふたりとも食べるのに必死で、写真を撮り忘れている。あとみかん氷を買ったときに、店員さんから「お母さんに先渡しますね」と言われたのが不思議な気持ちだった。みんな、どういう基準で我々を親子だと判別しているのだろう。もちろん顔なんてまったく似ていない。この世の概念って、得てして曖昧なことが多い。

 フレッシュオールスターは、要はお祭りイベントだ。各球団からの代表選手、というか「期待の若手」や「売り出し中の新人」がやってくる。ピッチャーは毎回変わるマシンガン継投だし、外野の応援団もかなりめちゃくちゃな選曲をしていて楽しかった。欲を言うならランサム*7やりたかった……
 正直なことを言うと、私はアマチュア野球にあまり明るくない。その点るいは結構詳しくて、私なんかよりよっぽど出場選手のことを知っていた。
「浅野と松尾は、U18で代表やったんですよ」
「そうなんや」
「仲地*8とか、そのうち一軍行きますよ」
「へー」
 ずっとこんな感じで、るいは「なんか俺より物知らんおじろさんて、新鮮でおもろいです」と、なんだか嬉しそうだった。るいが心から楽しそうで、私も嬉しかった。
 あと球場には各球団からマスコットも来場していて、それを見ているだけでも幸せだった。みんな可愛いんだもん。やはり、女の子表象のキャラが多い。たいていの球団はメインが男性表象のキャラなので、二番手が来るとなると「女子」が多いのだ。回と回の間を盛り上げる様子を見ながら、るいが「スラィリー可愛い……あっ、ライナ! ライナや、ライナかっこいい!」と言っていたのが印象的だった。ライナ*9は珍しいパンツスタイルの女子なのだが、女の子のマスコットを「格好いい」とためらいなく形容できる様子を見て、だからりゅうがと付き合えてんだよなあ、などと私は思っていた。
 そして私はイースタン側を応援していたので、試合は負けた。このブログを書いている今現在、今年観戦した試合は1試合しか勝ってない。なんでやねん。

 なんとなく、言いたいことがあるんじゃないかと思っていた。ただの勘だ。
 どうせ混んで駐車場内でろくに動けないだろうと踏んで、少し遠くに車を停めた。車までの帰り道は無言だったのだが、乗り込んで発進しようとした途端、助手席のるいが「あの」と声を掛けてきた。私はその瞬間を待っていた気がした。
「今日、ありがとうございました。楽しかったです」
「そらよかった」
「俺、野球嫌いになりそうやったけど、好きなまんまでいられるかもって思いました」
 あ、やばい。この人泣きそうやわ。直感的に思ったが、私は口を閉じた。

 7月のはじめに、るいが私に「聞いてくださいよ」と疲れた様子で話しかけてきたことがあった。るいはインスタグラムのとある動画を私に見せたのだが、あいにく私はその動画の内容を知っていたのだ。
 某球団の選手が、茶化した様子もない小学生から「彼氏はいますか」と質問され、笑いながら「彼氏はいません!」と答え、会場がドッと沸く切り抜き動画である。うわあ、あれ見ちゃったのかよ。インスタのクソアルゴリズムを呪った。
 そのときのるいは「ほんと嫌なんすけど、こういうの」とちょっと半笑いで、「ありえないっすよね」と私に同意を求めてきたので、私も「そんなん見んでいい見んでいい、長押しして「興味がない」や」と、ちゃんとホモフォビアに対して怒ることができなかった。あのときにきちんと私が怒っていたら、幾分るいの心は軽かっただろうか。そんなことを思うこと自体、思い上がりだろうか。
 俺が動画見せたときのこと、覚えてますか。るい自身があのときのことを持ち出して、ちょっと揺れた声で続けた。
「ああいうの、正直腹立つじゃないですか。でもちゃんと怒ったら、何ムキになっとんやって、笑われたりするんすよ。お前って『そう』なん? みたいなのとか、□□(動画の選手の愛称)は『そう』じゃないんやから、あれはおかしい反応じゃないとか」
「……そうか」
「俺にとったら彼氏がおるのも、男が好きなんも普通のことなんに、なんで笑われんといかんのやって思う」
「……うん」
「俺らって、ずっと笑われんの我慢して、ヘラヘラしとらんといけんのですかね?」
 おおむねこういったようなことを言っていた。なぜここまで覚えているのかというと、情けないが、ろくな返事ができなかったからだ。覚えているんじゃない、忘れられなかった。だからむしろ、ほとんどなにも言えなかったことも、強烈に忘れられない。

  • ヘテロ様のご機嫌取りをしよう
  • 最初から二級市民なんだから我慢して当然
  • ネタにして生きてったらラクだよ
  • そんなの気にしたら負け、見て見ぬ振りで自衛したらいい
  • 人権とか難しいこと考えるから辛くなるんだよ

 ……なんて、ヘテロはおろか、たまに当事者でもこういうようなことを言う人がいるけれど、これからの未来を生きていく人たちに、私たちの負の遺産を押しつける必要性を私は感じていない。むしろ、子どもにそんな「自分を蔑めば、心が守れるよ」だなんて、口が裂けても言えない。鬼かよ。人に機嫌を取らせるやつが悪いのに。
「俺ら一応みんなにはカミングアウトとかしとらんけど、最近俺がすごいイライラしとって、りゅうがの知らんところでなんか言ってしまうかもしれんって、怖いんです」
「それは……ちょっと間違えるとアウティングになるから、よくないね……」
「わかってるんですよ。でもすごい言いたいときがあって、でも言ったら「終わる」ってわかっとるから。でもそもそもなんで終わらんといけんのやって、ずっと腹立ってて。この前○○(芸能人の名前)の話になったとき、死んだら許されていいよなとか言うから、我慢できんくて。許すってなんなんって」
 ハ? 許すってなんなん? 誰が? 誰を? どんな権利があって? 私は思わず口の中を噛み締めてしまった。

 りゅうがもるいも、交際についてよく努力していると思う。塾やら部活やら習い事で忙しいのに、時間を作っては会って、いろんなことを話している。話題は多岐に渡るが、ときおりクィアコミュニティで話題になっていることや、よく聞く言葉などについても話題に挙げて、わからないことは私に聞いたり、ググったりする。なんだか、誠実に生きているなあと思うのだ。
 だからこそ、私は先に生まれた人間として、この人たちの足を引っ張りたくない。私はいつも思っている言葉を、咄嗟に思い浮かべていた――「うるせえな。たまたまヘテロに生まれついた(と思い込んでる)だけのくせに、でかい顔しやがって」。

「もう勉強も部活も、全部うまく行かん気いして、ほんとにうまく行かんから辛くて。部活ん中におると、余計に俺おかしい気がしてくるし。みんな平気で△△(蔑称)とか言うから」
「おかしいの、そいつらやから」
「わかっとるんですけど、俺おかしいかも知れんって思ってしまう。俺は彼女とか彼氏とか、そういうん元々重要か? って思っとるから、そもそもそういう話全然乗れん。彼氏欲しかったんじゃなくて、りゅうがの彼氏になりたかっただけやし。下ネタとかも、友達が話すのも、有名なゲイの人たちが話すのも、どっちも嫌」
 なんかすごいこと言ったな。さすがMy son's sweet heart、やっぱりあの人の「彼氏」が務まるのは君しかいない。とかなんとか思ったりもしたが、相変わらずるいは泣きそうで、やっぱりろくなことが言えなかった。
「やから今日は疲れる話がなくて、楽しかったのが嬉しかったです」

 少し前に「バカとエロの大縄跳び*10」という言葉がタイムラインに踊っていたことがある。るいはまさしくその大縄が跳べない人なのだが、彼は跳ばないことを許してくれる環境に身を置いたことがなかった。だからこそ、りゅうがとの付き合いをとても大切にしている。
 このブログをお読みの方には既知かと思うが、私はアロマンティックを自認していて、本当に恋愛がわからない。わかりたいとも思っていないし、わからなくてもいいと思っている。そんな私にだって、こんなクソ暑い中でもわざわざ手を繋いでいるふたりは、お互いにとってどんな存在なのか、聞かなくたってわかった。
「ありがとうございました、またおじろさんと試合観たいです」
 るいは普段から、きちんとありがとうが言える。そのまっすぐさがゆえに、きっと彼は苦しんでいる部分も多いのだろう。
 でもそういう生き方をしたい人が苦しい思いをするって、やっぱなんか納得いかない。いつまでも古いシステムを使って「なんか最近動作やばいんだけど、そろそろ保証期間過ぎる?」みたいなこと繰り返してんの、私たち大人じゃん。情けない。
「うん。また行く?」
「行きたいって言っていいんですか?」
「いいよ、バンテくらいなら連れてったげるわ」
「バンテ……て、どこすか」
「ナゴド」
「なごど? あ、ナゴヤドームか」
 るいがようやく笑顔になった。その笑顔が大変可愛かったので、なぜか誕生日にユニフォームを買ってあげるという約束までしてしまった。なんでや。おかしい。まあいい。



 話は変わるが、ここから先もよかったら読んで欲しい。
 るいと野球を観に行った前週、私は岡山にいた。まあ、それも野球なんだけど。


屋外球場の写真。倉敷マスカットスタジアム。バックスクリーンに花火が上がっている
花火が綺麗だった。試合は負けた

 ナイターでそれまで時間に余裕があったので、フォロワーにどこかおすすめの場所はないかと聞いたところ、ひとりの方に「ここは行った方がいい」とおすすめされたので行ってきた。


「愛生歴史館」と書かれた木の表札。岡山・長島の長島愛生園のもの

 長島愛生園は国立のハンセン病療養所だ。
 瀬戸内海に浮かぶ長島に位置し、今も終の棲家として暮らしている方々がいる。療養所自体は一般の人間は立ち入ることができないものの、この療養所には歴史館が併設されている。こちらに伺ってきた。
 景色はめちゃくちゃ綺麗なのだが、一車線がゆえにずーっとダンプに煽られつつ、岡山ブルーラインを通ってその日の私は長島に来た。第一印象は「風光明媚なところだな」だった。まだセミが本格的に鳴き出す前で、海岸沿いを走ると本当に静かだった。


背後に青空が広がる海の画像
道路にシカが歩いている様子
道路脇に「シカ飛び出し廃車注意」という看板があって、へえと思ったのもつかの間、道路脇でめちゃくちゃ普通に草を食っていて面食らってしまった

 島に着いてすぐはフォトジェニックな景色に、たくさんシャッターを切った。しかし歴史館を後にした帰り道は、もう写真を撮る気が起きなかった。その中で一枚だけ撮ったのが、冒頭の長島大橋の写真だ。

 歴史館には個人で見学すると予約を入れて行ったが、あいにく午後からは団体さんが来るとのことで忙しそうだった。それにも関わらず、学芸員さんがジオラマを前に、私と別の個人で見学に来ていたもうひとりに対して、長島という島がどんな場所であるかを説明してくださった。
 なんとなく、いわゆる「差別」というものの輪郭を捉えようと思ったとき、この国で起きたハンセン病の患者さんたちに対する大きな過ちは、言い方は悪いが目に入りやすいと思う。教科書にも載っていた。付け焼き刃の知識も入れていった。普段からそういった問題に目を向けていると、差別がどのようにして起きるのか、そしてどのような目に遭うのかというのがパターン化されて、なんとなく「こうなんだろうな」という嫌な予想がつけられるようになってしまう。そして実際、私が考えていたようなことも起きていると知った。
 ただ、やはりそれは「私の想像の中の差別」でしかない。歴史館で目にしたハンセン病をたどる人々の歴史には、直視しがたい現実が山ほどあった。正直に言えば、目を逸らしてしまった展示もいくつかある。子どもから大人まで、たくさんの人々が許されない差別に遭い、今もなお苦しんでいる。

 なぜ、あんなにも風光明媚な場所にあるのか。それは無知や、理解することを怠ったがゆえに、彼らは「普通の人」の目につかない場所へと、不当に隔離されてしまったからだ。


青空が広がる、美しい海の画像。海岸線沿い

 歴史館に向かう道中にも亡くなった人々を悼む石碑があったが、島の療養所は外界との断絶の象徴でもあった。長島には、納骨堂もある。歴史館には「なぜ療養所に納骨堂があるのか、考えて欲しい」といった旨のポスターが貼ってあった。
 療養して帰るべき場所があったはずの人々が絶縁され、帰ることができない。帰ったとて苛烈な差別に遭い、島へと戻ってくる。そんな人たちが作った焼き物や、素敵な絵なども展示されていて、暮らしを編んでいる様子に余計思うところがあった。もちろん、治療法が不十分な頃に亡くなり、遺骨の引き取りを拒否された方もいる。
 そんな方々が眠っている、本来はあるべきではない納骨堂だ。午後の団体さんと一緒に回ることもできると言われたのだが、私は怖じ気づいて結局訪ねることができなかった。私には覚悟がなかった。

 美しい、静かな海に囲まれた場所に療養所が作られた理由を、展示を読めば読むほど突きつけられる。
 帰り道に一枚だけ写真を撮った長島大橋は、長い間隔絶していた島、ひいてはそこに暮らす人々を、再び「外側」へと結びつける象徴の橋だった。行きはただ進路として橋を渡ったが、帰り道はどうしても車を停めてじっと見つめてしまった。小さな橋だ。その水色のなだらかなラインを超えられずにいた人たちのことを思った。

 印象深い展示ばかりだったが、特にひとつ、ここに書いておきたい展示があった。
 2003年に熊本のホテルが、ハンセン病の元患者に対して宿泊を拒否した事件があった。その事件では、被害者である元患者の方々を匿名で中傷する声が多く上がり、歴史館にもその中傷文が展示されていたのだ。
 この事件はとても有名で、いろいろな媒体で概要を読むことができる。残念ながら中傷も文面ごとネットに出回っており、かなり心がしんどいが、読める人には読んでみて欲しい。あれを他人に送りつけるというのは、どういう精神状況なのだろう。みんなが言いたいことを言ってやったという思い違いなのか、はたまた純粋な加害欲からくる悪意なのか、なんにせよ本当に醜悪だった。
 一言一句覚えているわけではないが、私が強烈に腹を立てたのは、要は「ハンセン病だなんて可哀想だと思っていたのに、権利だなんだ大声で主張するから可哀想がる気が失せた」といったものだった。なんだこいつ。どの立場からどんなつもりで言ってんだよ。「可哀想なまんまでいたら、認めてあげたのに」ってか? 私は思わずその展示の前で立ち止まり、舌打ちをしてしまった。
 このコロナ禍では「ハンセン病の教訓が生かされていない」という話をたびたび聞いたが、このコーナーにも「ハンセン病問題からの教訓」というタイトルがつけられており、他にも同和問題外国人差別障がい者差別なども明記されていた。添えられていた言葉をメモした。問題があったら削除します。

 ハンセン病に対する偏見と差別は、国が政策を誤ったことにより助長されてしまいました。
 しかし、それを容認してきたのは、国民ひとりひとりです。
「無関心」は誤解と偏見を生み、差別につながります。
 現在も様々な差別に苦しんでいる人たちがいます。この人たちにも関心を持ち、正しい理解の輪を広げることこそ、ハンセン病問題から学ぶ大きな教訓です。

 人は知らないものに恐怖を抱くとはよく言ったものだが、実存と乖離した姿に尾ひれがつき、そしていつの間にかそのひれが千里を駆ける足になる。
 すべての差別を一緒くたにするわけではないが、そうやって無知がゆえに知識もなく、外側から「私たち」を勝手に歪められるのは、どこも同じなのだと思った。

 知るのは怖いことじゃない。だなんて、正直それは嘘だと思う。知ることは怖い。
 自分が今まで立っていた場所には、誰かの亡骸が埋まっているかもしれない。そしてこれからも、誰かが埋め立てられてしまうかもしれない。だから私はこれからもその場所を退く方法を考えたいと思っているし、退こうと思う人の手を取りたい。一緒にそこから飛び出したい。はりぼてにだって、虚勢張るくらいできるでしょ。

 るいの両親へ。
 るいはるいでしかありません。誰にもなれません。彼の心は彼のものですし、彼が誰を好きであろうと、あなた方には拒否する権利なんてないんです。あなたのお子さんは愛に溢れていて、その愛の構成というか、内容物というか、性質を決めるのはるい自身です。るいだけが決められます。
 あなた方は「これから知っていけばいい」なんて段階を、本当はとっくに過ぎています。無責任だと思う。それでもこれから努力しないよりはずっとマシだと思っています。
 もっとあなたたちの息子に興味を持ってください。自分たちの理想の息子を作るんじゃなく、ありのままのるいをちゃんと見てあげてください。
 あなたたちが思っているよりも、あなたたちの息子には好きなものも、嫌いなものも、たくさんありますよ。

 ほんとはこうやって、面と向かって言えたらいいのにね。
 毎年恒例、企業がひと月だけアイコンを虹色にする月も、いつの間やら終わってしまった。はりぼての自分は積極的にブッ壊していきたいけれど、いかんせん暑すぎるので、しばらくは準備運動をしておこうと思う。昼寝とか挟みながら。
 「私たちの実存に勝るものなんてない」。人生のスローガン、今のところ第一候補。


ベイスターズのファンクラブ。性別を選ぶ欄が「女性」「男性」「自分の表現を使いたい」「答えたくない」となっている
ベイスターズFCのアンケート。少しずつ、世界も変わっているのかもなあと感じる。少しずつだけど


Into the Light

Into the Light

  • SHINJIRO ATAE (from AAA)
  • ポップ
  • ¥255

*1:本人に聞いて決めてもらった仮名。憧れらしい

*2:小野妹子みたいな感じで使っている。本人了解済

*3:花を挿しておくアレ

*4:一応までに、今回の記事もるい本人に見せてからアップしています

*5:https://www.netflix.com/title/81435649

*6:最近高校野球でも定番になりつつある曲 https://www.youtube.com/watch?v=5CxQNBpXwGw

*7:西武球団伝説の応援歌。レッツゴーレッツゴー

*8:この記事を書いているとき、本当に1軍に上がってきて、よりによってベイスターズが初勝利を献上した

*9:https://twitter.com/lions_lina

*10:https://www.asahi.com/and/article/20221026/423229821